国宝 大崎八幡宮
> 36号

八幡さま便り

■36号

鳩の声

 大崎八幡宮 宮司 小野目 博昭

 3月11日、日本の歴史を大きく揺さぶる【東日本大震災】が発生致しました。
 地震発生時は、当宮でもかなり強い揺れが数分続き、職員は直ぐに参拝者を安全な場所へと避難させ、手と手を取り合い、お互いに恐怖の気持ちを抑えながら長く続く揺れに耐えました。揺れがおさまっても足の震えは止まらず、じわじわと家族の安否や建物の被害の心配で心が押し潰される気持ちでいっぱいでした。  その後、職員全員で境内の被害状況を確認したところ、本殿内部の組み物のひび割れ、壁のずれや、境内の灯籠の倒壊、また社務所の土壁の崩落や、窓ガラス、扉が外れた等の損傷はあるものの、建物や施設に重大な損壊はなく、被害自体は最小限でとどめる事ができました。確認の為に来社した市の文化財課の方からも「社殿の文化財としての価値は少しも失われていない」とのお言葉をいただきました。
 震災後は、職員一丸となって救援活動に力点をおき、避難所である隣接小中学校への飲料水の供給、各方面からの支援物資の受け入れを開始し、県内沿岸部を中心とした各避難所へ東奔西走し、微力ながら物資支援のお手伝いをさせて頂き今日に至っております。  地震で大きな被害を受けた建物は数多くあります。その中でも重要性を強めているのは学校施設です。避難所にいる子供達は「早く友達に会いたい」「いっぱい勉強したい」といった切なる思いを耳にします。被災した子供達にとって、学校は心の支えになるのでしょう。しかし、あまりにも震災被害が大きく、校舎の再建はほとんど進んでいないのが現状です。市職員らが壊れた校舎から、土砂に埋もれた机やいすを運び出し、汚れを洗い落として教室へ搬入し、足りない分は、被害が小さかった他の学校からかき集めたりしています。
 地域で教育再興に取り組んでいる教師らは「心の絆を忘れなければ、希望に向けて歩んでいける。必ず立ち直ることが出来る。」と前向きに話しています。  学校施設の再建はいつになるか検討もつきませんが、仮設教室で授業が開かれるなど、皆の大きな努力によって教育再興がはかられています。 日本という国はとても恵まれています。家や財産を失っても、互いを思いやり、助け合い、秩序をきちんと守れる日本人。そんな復興へと努力する勤勉な日本人を称賛する声は海外にも広がっています。多くを奪った大震災ですが、大震災を通じて私達日本人の忍従や規律、団結と献身などの日本人の美徳を身に染みて実感できたのではないでしょうか。  まだまだ余震が続き、予断を許さない状況ではありますが、この度、被害にあわれた皆様には謹んでお見舞い申し上げますと共に、今後は、当宮と致しましても何が出来るかを考え、少しでも災害復興へのお手伝いが出来ればと思い、日々小鳩たちと共に支援協力に奔走しています。


八幡宮Q&A

Q:初穂料について教えて下さい。

A:神社でお祓いやご祈願を受ける際に納める金銭を今日では初穂料といいます。
その年の秋に初めて刈り取られた稲穂のことを「初穂」といいます。日本の国は豊葦原瑞穂国との呼称があるように、古くから稲作を重要視し、稲作の文化をつくりあげてきました。そのような文化の中で、日々守って下さる氏神様への「感謝」と今後の発展を祈願し、初穂を氏神様に捧げるという風習が生まれました。そのことから、初穂を神前に捧げることは昔の人々にとっては一般的な行為であり、また大切なことであったことがうかがえます。
 しかし、時代の変遷と共に初穂の内容は変化していきました。当初は「稲束」や「穂束」でありましたが、それが「お米」となり、撒米といって撒いたり、白紙に包んでおひねりにして捧げたり、炊いたご飯や餅を初穂として神前に捧げるケースもあらわれました。さらには「初物」がもつ偉大な生命力への信仰から初めて収穫された野菜や魚、そして金銭が重要視される社会になってからは金銭に対しても用いられるようになり、しだいに「初穂料」という呼称が定着していったのです。  このように、日本に古代より今もなお受け継がれている農耕稲作文化から初穂という言葉が生まれ、氏神様への感謝の意をあらわし、初穂を神前に捧げるようになったのです。今日では、昔のように農耕稲作中心という文化ではなくなってしまいましたが、「日々お守り下さる氏神様へ感謝の真心」を込め、今の世の中には必要不可欠な存在となっている金銭を初穂料として神前へとお供えし、今後の発展を祈願してはいかがでしょうか。
 当宮では毎日9時から16時頃までご祈願をおこなっております。震災により苦しい世の中になってしまいましたが、このような時こそ皆様方のご健康やご発展、さらには震災からの一日もはやい復興を八幡様に祈願し、八幡様のお力を頂きましょう。

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