44号

鳩の声

4月29日は昭和天皇様の御生誕の日で、昭和の時代は「天皇誕生日」としての祝日でしたが、平成になり「緑の日」と改称され国民に親しまれ、平成19年からは「昭和の日」となりました。この日、全国の神社では「昭和祭」という祭典が行われ、大きな戦争の痛手から立ち直り高度成長を遂げ見事に復興した我が国の足跡を称え、国の平和と隆昌を祈ります。当宮の祭典では巫女が舞を奉奏していて、これを「浦安の舞」といい、昭和15年に紀元2600年の奉祝を記念して、昭和天皇様の御製を詠って作られた舞で現在でも盛んに行われている舞です。

『天地(あめつち)の 神にぞ祈る朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を』
浦安とは心の安らかという意味で、平和を祈る心の舞であり、古く日本の国名を浦安の国といったのは風土が美しく平和であったからであります。

昭和8年に詠まれたこの歌は満州事変直後であったため、尚更に平和を祈るお気持ちが込められています。この満州事変をきっかけに日本は諸外国との関係悪化を辿り、また国内でも陛下と政府と軍の思惑が一致せずに世界との戦争へと至ることとなります。

明治34年4月29日、昭和天皇様は御降誕されます。「大らかな心で国を治め、人類の幸せのために尽くすよう」との願いが込められ、御名(ぎょめい)を裕仁(ひろひと)、幼少時は迪宮(みちのみや)と命名されました。

大正15年12月25日、大正天皇様崩御に伴い、25歳の若さで第124代天皇を即位し、元号を昭和とします。歴代天皇陛下の中では神話を除いて在位期間が最も長く、最も御長寿でありましたが、順風満帆とはいかずに、ここから激動の時代を迎えます。

昭和6年、満州を警備していた関東軍の独断により戦線を拡大し、満州の大半を占領した満州事変がおこり、陛下は国同士が助け合う事を願い、戦線の不拡大を支持されていたのですが、お心に反した軍に大変お怒りになります。この事変により日本は諸外国との関係が悪化し、国連から脱退することにもつながっていきます。その後、政府は対ソ連、米英を念頭において軍備を拡張していく中、日米通商航海条約の破棄により、石油や鉄の輸入がなくなり困窮していき、やがて日本は周辺国から孤立していきます。

昭和14年、ドイツはソ連と不可侵条約を結んだ後、ポーランドに侵攻。すぐにイギリスとフランスはドイツに宣戦布告し、これをきっかけとして第二次世界大戦がおこります。昭和15年、政府は日独伊三国同盟を締結しながらも、対米交渉を進めていましたが遂に纏まらず、開戦に踏み切ることとなります。昭和天皇様は「八紘一宇の精神」(世界の人々の平和を願う)を貫き、開戦直前の御前会議において明治天皇様の御製
『四方の海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ』
と詠い一人戦争に異を唱えられていましたが、真珠湾攻撃を皮切りに大東亜戦争に突入します。結果、昭和天皇様の御聖断によってポツダム宣言を受託した日本は終戦を迎えました。昭和20年8月15日、ラジオにて「大東亜戦争終結の詔書」(…堪エ難キヲ堪エ忍ビ難キヲ忍ビ…)を放送されました。そして直ちに連合国総司令部マッカーサー元帥を訪ねて「戦争の全責任を負う者として、私自身を裁きに委ねるために訪ねました」と言われ、自らのお命を投げ出して国民を庇った陛下に大変感銘をうけた元帥は、後に陛下の戦争責任はないと明言されます。

その後、陛下は全国の戦災地をご巡行され、傷ついた国民をなぐさめ励まされて、戦後の日本の復興の道を共に歩かれ、昭和64年1月7日崩御あそばれました。

本年は大東亜戦争終戦より70年の節目の年に当たりますが、「過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人にとって、また世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。」と、今上天皇陛下のお言葉に改めて近隣諸国との今後の関係について、深く考える必要があるのだろうと思います。

八幡宮Q&A

Q:初宮詣、七五三について教えてください。

A:人の一生の折々の節目で神社に詣でる行事は初宮詣や七五三などありますが、
その節目ごとの神様への祈りと感謝を人生儀礼と呼ばれており、主に入学、卒業、就職の奉告や成人、還暦などの年祝いがあげられ、結婚式、葬式なども人生儀礼にあたります。
そのなかの初宮詣は一般にお宮参りといわれ、誕生後初めて氏神さまにお参りし、地域の氏子入りとなる人生初めての大切な儀礼です。
御子を授かり、無事産まれたことへの感謝と今後の成長を願い、男の子は産まれてから31日目、女の子は33日目頃にお参りをするのがいいとされており、御祈願の際、神職が祝詞を奏上し神様へご奉告します。地方によりお参りする日数が 日または100日とする場所もありますが、神様への初めてのご挨拶ですので100日目ぐらいまでにお参りをするとよいでしょう。
また、生後7日目に行われる命名式や生後100日目に初めてお膳を食べる真似をする「お食い初め(おくいぞめ)」、初めて迎える節句(女の子は雛祭り、男の子は端午の節句)などのお祝いを経て家族から健やかな成長を祈られながら育ちます。
七五三は、3歳、5歳、7歳に行うお祝いの行事です。一般的に男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳で11月15日に晴れ着を身にまとい氏神さまにお参りし、成長を感謝し今後の成育を御祈願致します。
昔は男女とも3歳になりますとそれまで剃っていた頭髪を伸ばし始める「髪置(かみおき)」という儀式を行っていました。男の子は5歳に初めて袴を着る「袴着(はかまぎ)」、女の子は7歳で「帯解(おびとき)」という大人と同じ帯を使用し始める儀式が平安時代頃からありました。
3歳、5歳、7歳にお祝いする語源ですが、これは子供の発育上の段階を表しており3歳で言葉を理解し、5歳で物事の知恵が身に付き、7歳で歯が生えかわると言われております。またその一面いろいろな病気に罹りやすく、さまざまな危険を伴う大切な時期でもあるため、この時期にお子様の成長を神様に祈念することは自然な親心から起こったものでしょう。
七五三の日取りは11月15日とされていますが、これは5代将軍徳川綱吉の子の髪置祝いがその日に行われたことから前例にしているとも言われております。
当宮では毎年10月1日から11月末まで七五三の御祈願を行っております。数え年のお歳のお子様も御祈願を行っていますので参拝された際はお子様の成長と今後の成育を八幡様へご奉告しましょう。