「第61回文化財防火デー」消防訓練を実施いたしました。(1月26日)

 去る1月26日(月)「第61回文化財防火デー」に伴う消防訓練が行われました。

 今回の訓練では大元社西側の杉林より火災が発生したと想定し、龍神社南側に発炎筒型の火点が設置されました。

 午前9時半の訓練火災発生と同時に、火災発生時の報告、消防への119番通報、初期消火、参拝者の避難誘導、本殿からの「御」の搬出、社殿へ火が燃え移ったと想定した放水銃による放水訓練を行いました。

 また、氏子の方々には、水消火器による消防訓練、バケツリレー等に参加して頂き貴重な文化財を火災から守っていかねばならない職員と同じく、再認識して頂けたのではないでしょうか。

 また、閉会式後には、参加された方々に“甘酒”をお配りし、冷えた体を温めて頂まして、本年も無事終了となりました。

~何故この日に訓練火災を行うのか~

 空気が乾燥し、暖房器具の使用頻度が高い為、1年のうちで最も火災が発生しやすい時期といわれる1月ですが、去る昭和24年1月26日に日本最古の木造建築である、国宝法隆寺(奈良県)の金堂が炎上し、壁画が焼損したのがきっかけとなり、昭和30年に「文化財防火デー」が制定され、各地の神社仏閣で毎年行われるようにました。

 その為、当宮でも毎年1月26日に、青葉消防署・青葉消防署国見出張所・八幡分団・国見分団の皆様、当宮の消火設備を管理している(株)櫻井防災、当宮近隣の氏子の方々にお手伝い頂き、八幡様の万が一の時に備え、消防訓練を実施しております。

(日野 美咲)

社務所への報告に走る高橋出仕 「御」の搬出
神馬舎前広場では氏子さんによるバケツリレーが行なわれました
御社殿、龍神社南側杉林への放水訓練も行われました
閉会式では青葉消防署署長より講評を頂きました

ベガルタ仙台必勝祈願(1月25日)

 去る1月25日、ベガルタ仙台の代表取締役社長西川善久様、渡邉晋監督を始め選手、スタッフ、フロントの皆さまが必勝祈願のためご参拝されました。
  祈願控所にて大絵馬にサインをした後、御社殿で祈願を受け、玉串にJ1での躍進の願いを込めてお参りされていました。
  先日のアジアカップに、北朝鮮代表として出場した梁勇基選手は「もう一度J1で上位を目指せるように頑張りたい」と抱負を語られていました。
  ベガルタ仙台がJリーグに加盟して21年目となる今シーズン、八幡様のご加護のもと更なるご活躍をご祈念しております。
  サインを頂いた大絵馬は、社殿に向かって左の西回廊に奉納されておりますのでご参拝の際にご覧頂ければと思います。

(菅原 望)

大絵馬にサインする選手 お祓いを受けます
玉串に願いを込める西川社長 大絵馬を持って集合写真
抱負を語る梁勇基選手
 
サポーターが奉納した絵馬
多くの方が活躍を祈っております

宮城県神道青年協議会
第39回「禊錬成会」(1月20日)

 暦の上では一年の中で最も寒いとされる「大寒」の日に、宮城県七ケ浜の菖蒲田浜海岸にて宮城県神道青年協議会主催の第39回目となる「禊錬成会」が執り行われました。

 参加者は、協議会々員・県内神職合わせて27名で、その内当宮からは職員4名が神事に参加してきました。

 当日は午前6時前に集合し、設営のお手伝いを行い午前6時30分に斎行。 「エイッサー」の掛け声と共に駐車場から砂浜に勢い良く向かい、道彦に伴い「鳥船行事」で心身を整えた後に、いざ海の中へ入水しました。入水後は、「大祓詞」を奏上し、最後は肩まで浸かり全身の罪穢れを祓い落としました。

 午前6時の時点で気温は0℃、東部仙台には強風警報が出されていた中での神事で、白衣を脱ぎ褌姿になるときには全身に鳥肌が立ち、あまりの寒さに「・・・!!」言葉が出ませんでした。なお且つ強風が全身に突き刺さり体感温度は氷点下の寒さでした。

 禊神事を無事終えて心身ともに清められ、今年一年乗り切る鋭気を養うことができました。

 この記事を閲覧されている方も是非一度体験してみてはいかがでしょうか。


※ 神事の様子を動画にて撮影しておりますので、よろしければ下記よりアクセスお願い致します。

動画ページへ

海中へ入る前に「鳥船行事」で心身を整えております
海の中へ入り「大祓詞」を奏上

平成27年1月14日松焚祭が執り行われました。

祭儀課 小野目 稲美

 午前中から爽やかな晴天と暖かい気温に恵まれた1月14日、松焚祭が執り行なわれました。
 お正月最後の行事であるどんと祭は、大崎八幡宮において、かつて門松や松飾りなどのお焚き上げが本来の神事でした。今は門松や松飾りのみならず古神札や縁起物などが集まり、高さ5mほどの山がお焚き上げされる様子は、全国規模の神事として名を馳せております。
 このお焚き上げに付けられる「忌火」は、1月1日の歳旦祭により宮司によって熾されました。忌火は14日の午後4時に行われる松焚祭点火式に用いられ、その間、絶やす事無く守られます。この小さな忌火を松明に移し、宮司以下参列者によって古神札に点火され、一気に燃え上がる様は圧巻で、どんと祭の御神火を取り巻く人垣も、余りの熱さに後ずさりします。

 その燃え盛る御神火を目指し、仙台市内各所から裸まいりの一団が参進します。
 今年は119団体、参拝者数3,500名以上の方が御社殿にてお清めのお祓いを受けました。様々な団体(会社・病院・学校関係者等)のみならず、個人や初めての参加の方もいらっしゃり、年々増加傾向となっております。

 今年のどんと祭は平日でしたが早朝から人手があり、参拝者数は10万人を越えました。これはお正月にせまる参拝者数です。仙台の皆様にとって大崎八幡宮のどんと祭は、正月の風物詩でもあり、大切に護っていかなければならない信仰・伝統だと強く感じました。

 しかし残念な事に、この御神火に授与品以外のものが混ざっております。 人形・ぬいぐるみ・工芸品などはもとより、メモ・伝票・個人情報が記載された物も含まれておりました。
 どんと祭の御神火は神送りの神事であり、心無い方のこのような行為をこれから正していくのも、信仰を護る大切な一つだと実感いたしました。

社殿前より、忌火が点された
陰灯が運ばれます 
どんと祭斎場前で点火式が
行われました
忌火を松明に移し、点火の準備をします
 
燃え上がる御神火を目指し
裸まいりが進みます
境内は参拝者で溢れておりました 清水建設の皆様の修祓です
愛知治郎後援会の皆様
 
仙台市立第一中学校・
八幡小学校の皆様
餅・お酒・鯛・野菜などの
お供えがありました
今年は好天に恵まれ、10万人を超える
ご参拝を頂きました

歳旦祭・松焚祭採火式齋行(1月1日)

 元日の8時より、一年の始めの祭典である「歳旦祭」が執り行われました。
 歳旦祭は、新年を迎えたことをお祝いし、皇室の弥栄ならびに国民・氏子崇敬者全ての人々の繁栄と農作物の豊作を皇祖を始め、天神地祇の全ての神様にお祈りする祭典です。
 祭典は、まず神饌(大神様の召し上がるもの)をお供えし、宮司による祝詞奏上・採火の儀、巫女の「浦安の舞」が奉奏された後、宮司・祭員の玉串拝礼が行われ、滞りなく厳粛に斎行されました。
 また祭典の中の「採火の儀」で宮司の手により「火打ち石」を用いて熾された火は「忌火(いみび)」と呼ばれ、1月14日に行われる松焚祭(どんと祭)の御神火となるもので、当日まで灯され続けます。

(菅原 望)

宮司による祝詞奏上 巫女の浦安の舞
玉串拝礼 御神前にお供えされた「忌火」

年越大祓式齋行(12月31日)

 去る12月31日午後2時から、本殿前特設テント内の斎場において「年越大祓式」が斎行されました。
 当日は、小雨の降るあいにくの天気ではありましたが、多くの参拝者の方にご参列を頂きました。
 大祓式は、半年の間に知らず知らずに犯した罪や積もり積もった心身の穢れ、いっさいの災いを消滅し、本来の姿を取り戻すための神事です。
  特に年越大祓式は新年を迎えるにあたり、年間で最も重要な「祓いの儀式」であり、「年越の大祓」をうける事により、被った災いや穢れの一切を清めて身体も心も清らかになるための儀式として古くから行われているものです。
 神事では、祓主が古来より伝わる大祓詞を宣読し、参列者は麻と紙を細かく切った切麻を体に撒いて清め、紙を人の形に切った「人形(ひとがた)」で体を撫で、3度息を吹きかけ罪穢れを移します。その後、神職が大麻と塩湯でお祓いして滞りなく終了致しました。
 罪穢れを移した人形は、水に流すのが一般的ではありますが、当宮では松焚祭の忌火でお焚上げをしております。
 大祓は、古事記や日本書紀の神話に見られる伊弉諾尊の禊祓を起源とし、宮中においても古くから行われてきました。国中の罪穢れを祓い清め災厄の無い社会を祈り行われてきたもので、現在ではその伝統を受け、多くの神社で恒例の儀式として斎行されております。

(菅原 望)

祓主による大祓詞の宣読 白布を切り裂く神職
人形で体を撫で罪穢れを移します
 
神事終了後、御神酒をお受け頂き
神札をお頒ちしました

神宮別宮 遷御の儀奉拝
「瀧原宮(たきはらのみや)・瀧原竝宮(たきはらならびのみや)(11月7日)・伊(い)雑宮(ざわのみや)(11月28日)・風(かざ)日祈宮(ひのみのみや)(12月3日)」

 平成25年秋、皇大神宮(内宮)並びに豊受大神宮(外宮)の両正宮におきまして、20年に1度の遷御の儀が滞りなく斎行されました。遷御の儀は御社殿を新造し、御装束神宝類も新しく整え、大神様に旧殿から新殿へお遷りいただく式年遷宮において最も重要な祭儀です。
  神宮は、内宮・外宮を含め125の社があり、両正宮の遷御翌年から特に両正宮と関わりの深い祭神を祭る14社の別宮の遷御と続き、摂社・末社・所管社合わせて109社は、20年目に大修理、次の20年目で新しく造替されます。
  当宮ではこの度、別宮である「瀧原宮・瀧原竝宮」・「伊雑宮」・「風日祈宮」の遷御の儀に参列させていただく機会を頂き、宮司以下職員、崇敬者の方を含めそれぞれ伊勢の地へと向かい遷御の儀に参列してきました。
 遷御の儀は浄闇の中、鶏を真似た「カケコー、カケコー、カケコー」の声を合図に始まり大宮司以下祭員の列が白い絹垣で覆われた御神体と神宝類を持ち、旧殿から雨儀廊(屋根付きの回廊)を渡り、新殿へと大神様がお遷りになられます。
  当日遷御の間は静寂した中、執り行われると思っておりましたが、風の音や川のせせらぎ、動物たちの鳴き声がありらこちらから聴こえ、それが逆に幻想的でした。
 翌日には檜の香りがまだ新しい新殿をお参りさせていただき、1300年もの間続いてきた神事に立ち会うことできたことに改めて感激致しました。

(髙橋 泰之)

(以下 別宮の遷御の儀に同行された方の感想を掲載しておりますので、ご覧いただければ幸いです。)

(瀧原宮・瀧原竝宮 同行)

瀧原宮遷御の儀に参列しました(波岡 智子・有香 殿)

  夜の20時から瀧原宮遷御が、次いで瀧原竝宮遷御が行われました。
  仙台から比べれば暖かいのでしょうが、夜の祭儀でしたので待ち時間や祭儀中も寒さとの戦いでしたが松明の灯りの中、準備をされる伊勢神宮の方々の事など、様々な遷宮の説明を小野目宮司さんに聞かせて頂き、大変貴重な時間を過ごすことが出来ました。
  1300年前から脈々と続く厳粛な儀式を初めて体験し、この儀式を伝承し続けてきた方々に尊敬と感謝の念を抱きました。
 遷宮式は暗闇の中行われたこともあり、お宮を見る事は叶いませんでしたが、もう一度この地を訪れ、瀧原宮と瀧原竝宮のお宮を拝見したいと思っております。また、今回は小野目宮司さんとご一緒の日程だった為、伊勢神宮の裏方部分や今まで知らなかった神社のあれこれを教えて頂く機会も多く、お宮を維持し守っていく為の技術伝承や資材の確保などの取り組みに感心と驚きの連続でした。
 道中は小野目宮司さんと谷津田さん(職員)に大変お世話になり有難うございました。

(伊雑宮 同行)

伊勢神宮別宮伊雜宮の遷御の儀を奉拝して参りました(権禰宜 小野目 稲美)

 平成25年に神宮式年遷宮が執り行なわれ、当宮も御白石持行事に参加し、氏子崇敬者の皆様と神宮を奉拝致しました。
 今回、別宮の一つである「伊雜宮」の遷御の儀を奉拝してまいりました。
 神宮の参拝作法は、先ず外宮へお参りに行きます。皆様と御白石持行事に参加した外宮正宮は、板垣が張り巡らされ、遠くからの参拝となりました。隣接していた古殿は既に解体され、次の御遷宮の時まで静かに佇みます。
 さて、外宮の境内には別宮が3社ございます。お参りも①外宮正宮②多賀宮③土宮④風宮と順番がございます。皆様もご参拝の折、順番通りお参りされてはいかがでしょうか。
  外宮の参拝が終わり、車で凡そ1時間の所にある伊雜宮へ向いました。遷御の儀が行われる時間は、19時からでございました。直前まで小雨が降っておりましたが、「伊勢には神風が吹く」の言葉通り、風が吹き雨が止み、雲間から星が瞬く神秘的な夜となりました。
  神事は暗闇で行われます。かすかにある光は、神宮神職が点す松明と提灯のみ。55名の神職と220名の参列者の奉拝により、神事が厳かに始まりました。常暗での神事です。参列者からは何も見えず、神職の衣擦れや足音に耳を澄まし、神経を集中させておりました。
  数々の御神宝とともに、絹垣と呼ばれる白い布で御(御神体)を四方囲み、渡御の列は進みます。 古殿から新宮へは30mの距離でしたが、2時間以上かけ遷御の儀は無事執り行なわれました。
  私達は通常、職員として諸祭奉仕しておりますが、改めて祭典に参列する機会があった事は大変貴重な経験となりました。
  神宮の式年遷宮は平成27年3月まで続きます。そして、次の式年遷宮の準備は既に始まっています。
  次回の式年遷宮も皆様と奉祝・奉拝出来るますように、大崎八幡宮職員一同、神明奉仕に努めてまいります。

伊雑宮遷御の儀を奉拝して(出仕 高橋 知生)

 10月28日、29日と伊勢神宮の内宮別宮である伊雑宮の遷御の儀を奉拝してきました。当日は雨が降っていましたが神事が始まる時間になると雨は止み星空の中、19時過ぎから神事は始まりました。辺りは真っ暗で静粛な雰囲気の中、神事は執り行われました。
  初めて神宮の遷御を奉拝して、祭員は何回習来したのかと思うくらいそれぞれの神主さんの動きがそろっていました。
  11月末といっても紅葉が見ごろの伊勢ですが夜の奉拝はとても寒かったです。外で奉拝している我々には祝詞がきこえなかったし短かったです。古式ゆかしい祭式で何をやっているのかわからなかったが後々調べたらこういうことだというのが勉強になりました。

(風日祈宮 同行)

雄勝から伊勢へ (㈲創建コーポレーション 佐藤 美智弘 殿)

 東日本大震災後初めて雄勝を訪れたのは、一昨年の7月頃でした。
 子供たちが小学生の頃、書道展で入賞し硯会館で表彰されたのが20年程前、友人と雄勝湾で釣りに夢中になっていたのが10年前。その頃は、長閑で養殖棚が所狭しと組まれた雄勝湾、今では賑っていた町並みの面影は無く、改めて被害の甚大さに驚いてしまいました。
 雄勝へ行くきっかけになったのは、雄勝町大浜に鎮座している葉山神社様の神楽保管庫(国指定重要無形民俗文化財雄勝法印神楽)新築工事のご依頼があったためでした。
 保管庫は一昨年11月に竣工し、引き続き新たに社務所の新築工事の依頼を頂き、昨年の11月完成に至ったところで、大崎八幡宮の小野目宮司様より皇大神宮の別宮 風日祈宮の式年遷宮の神事に参列させていただく機会を設けさせていただきました。
 12月3日の夕刻6時から内宮と同じく20年に一度、新たに立て替えられた御社殿に御神体を移す神事が大宮司以下50名近い神職の方々により執り行われる様は、初冬の寒さと暗闇が張りつめた空間を作り、厳粛さを極め身の引き締まる想いと同時に1300年もの悠久の時を経ても揺るがず執り行われる神事に心打たれたと同時に、驚きと感動を隠すことができませんでした。
 翌日は内宮をはじめ各別宮を参拝し、改めて2000年の歴史を感じた次第です。
 この度私どもが社務所の新築工事に携われたことは、残念ながら御社殿が東日本大震災の被害に遭われ、葉山神社様の復興の大事業であることです。葉山神社千葉宮司様の復興への並々ならぬ想いと、小野目宮司様の強力な支援、指導が氏子総代の皆様を動かし、波岡建築設計室の波岡先生が総括をされており、来年には御社殿も立派に完成することと思います。
 日本という国が戦国時代や明治維新といった動乱期、そして度重なる戦争といった困難を重ねながらも、守り抜いてきた歴史の重みとそこに立ち向かってきた先人の偉大さを思い巡らしたとき、雄勝町のみならず東日本大震災で被災された街、そして被災された方々が1日も早く復興できることを願うと共に、復興できると信じることが出来る参拝となりました。
 最後にこのような貴重な神事に立ち会える機会を与えていただいたことと、ご同行いただいた皆様に感謝、御礼申し上げます。

遷宮旅行へ参加して (菅原 マリ子 殿)

 1日目は外宮の参拝、せんぐう館を巡り、夕刻に内宮へ。午後七時より始まった風日祈宮の遷宮。浄闇に包まれ、辺りは凛とした冷たい空気の中で聞こえてきた太鼓の音、参進の際の玉砂利の音、そして松明の灯りだけで行なわれる祭儀。その厳粛な世界を目と耳で、感じ見させて頂きました。本当に心打たれ、日頃の奉仕に当たっての修練や心構えの大切さや素晴らしさに加え、準備から片付け至るまでの大変な想いを肌で実感することが出来ました。
 2日目、二見浦の参拝から内宮の御垣内参拝をし、ゆっくりと穏やかに説明、ご案内をして頂き、本当に有り難くとても感動し充実した二日に間となりました。
 今遷宮旅行にお声掛けを頂いた宮司様、またお世話を頂いた職員の皆様により心より感謝申し上げます。本当に有り難うございました。

外宮は左側通行です
 
皆様と参加した御白石が
敷き詰められた外宮新宮
外宮土宮はこれから遷御の儀を迎えます 茅葺の屋根は半分朽ちかけています
内宮別宮の伊雜宮の境内は暗闇です 手前が古殿、奥が新宮です
内宮宇治橋前の鳥居は
外宮古殿の棟持柱で造られました
内宮は右側通行です
 
五十鈴川に紅葉の木々が映えていました 遠くに臨む内宮新宮
 
おかげ横丁赤福の季節限定
「赤福ぜんざい」

ボーイスカウト仙台27団チャリティー餅つき

 1月4日(日)当宮の育成団体となっている、ボーイスカウト仙台27団が境内表参道にてチャリティー餅つきを行いました。
 蒸したもち米を臼にいれて、杵で何度もつきます。ボーイスカウトの子供たちだけでなく、ご参拝の方々にも参加して頂きました。
 つきあがったお餅は餡子、きな粉、納豆などに分けられて振る舞われ、子供たちの持つ募金箱へお気持ちをお納めいただきました。
 今回のチャリティー餅つきで集まったお金は、東日本大震災の被災地支援のために使わせていただきます。ご協力ありがとうございました。

(日下 瑞季)

蒸しあがったもち米を、二人がかりでついていきます