祈年祭斎行(2月17日)
―新卒採用職員3名も参列―

 去る2月17日、午前10時より祈年祭が斎行されました。

 祈年祭は、古くは「としごいのまつり」と読み、「とし」は稲の稔りの意味で、春の初めに当たるこの時期に、その年の五穀豊穣と産業の発展、国家国民の繁栄をお祈りする祭典です。

 祈年祭は「春祭り」とも呼ばれ、新穀を神様にお供えする新嘗祭「秋祭り」と対になる形で、古くから執り行われてきており、稲作を中心に発展してきた日本を象徴する祭祀です。

 この祭典は、神事の中で最も重要な「大祭」に位置付けられているため、仕女が本装束を着装し「浦安の舞」を奉奏致しました。

 また、4月から仕女として奉職予定の近藤さん、山口さん、大學さんの3名が参列し、一人ずつ玉串を奉りお参り頂きました。

 祭典終了後、新入職員3名にあっては、社務所にて宮司より祈年祭の意義や神社奉仕の心構えなどの説明に耳をかたむけ、採用後に着用する白衣や袴、足袋等の採寸を行いました。

(菅原 望)

祭典始めの宮司一拝 献饌
祝詞奏上 本装束での「浦安の舞」
奉職予定の3名
大學さん・山口さん・近藤さん(左から)
一人ずつお参りしました

紀元祭斎行(2月11日)

 去る2月11日(水)紀元祭が斎行されました。紀元祭は現在、建国記念の日と言われておりますが、以前では紀元節と言われ、「日本書記」が伝える初代天皇である神武天皇が今の奈良県、橿原の宮において即位された日です。

 古を偲び建国創業の御神徳を景仰する国民的祭典です。祖国日本の永遠の繁栄と世界の恒久平和を祈り、当宮でも本年も肇国創業の精神を偲び厳粛に執り行われました。

 当日、午前10時からの祭典では、宮司一拝から始まり次に大神様に神饌をお供えし、宮司による祝詞にて建国の祝賀をお祝いしました。その後、仕女による御神楽「浦安の舞」が奏され、玉串を奉り滞りなく斎行されました。
神事の後は、境内の遥拝所から、建国の祖である神武天皇をお祀りする奈良県の橿原神宮(かしはらじんぐう)を遥拝致しました。

(高橋 知生)

献饌 お供え物を神前にお供えします。 宮司による「祝詞奏上」
巫女による「浦安の舞」の奉奏 玉串拝礼を執り行いました。

平成27年2月3日節分祭を執り行ないました

祭儀課 小野目 稲美

 節分は、季節の変わり目を示す四節気(立春・立夏・立秋・立冬)の立春の前日に行われます。
二十四節気ではこの日を境に旧年から新年へと変るので、最も重要視されていました。

 日本では常若(常に新しい気持ちで、身を清め、穢れを祓い、新たな季節を迎える準備をしておりました。旧暦の新年の前日に行われる節分祭は、いわば年越し大祓えの神事にあたり、穢れを祓い清める神事が節分祭の豆まきとされます。

 この豆まきに使われる大豆は、必ず「炒った」豆でなければなりません。その由来は、「魔、滅いる(まめいる)」からで、炒った豆は「魔の芽を出さない」とされています。

 大崎八幡宮の撒豆式では裃を着けた参列者が「福は内、鬼は外、天打ち、地打ち、四方打ち、鬼の目ん玉ぶっつぶせ」と唱和し、豆を撒きます。

 参列者の皆様の「厄」は八幡様のご神徳により「役」へと転じ、新年のお役目を担う年男・年女となり、社殿前にいた「赤鬼」「青鬼」は皆の撒く豆によって退治され、清められました。

 また、馬場に設置された特設舞台からはボール・アンパン・みかん・お菓子などが撒かれ、近隣の小学生を始め多くの方が「福物」を受け取っていました。


社殿の前には、赤鬼・青鬼
  神事の一つ、鳴弦式です
弦の響く音で魔を祓います
撒豆式前 撒豆式により、魔を祓います
馬場を埋め尽くす日人だかりです    
 
   

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この度、新たに仙台・江戸学叢書が刊行されましたのでご紹介致します。


小西 幸雄   著
第65巻『真田幸村と伊達家』

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 この度、仙台・江戸学叢書が3冊刊行されましたのでご紹介致します。

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第32巻『伊達政宗の漢詩』
鯨井 千佐登 著
第35巻『城下町仙台の職人衆』
佐藤 賢一   著
第36巻『仙台藩の和算』