国宝 大崎八幡宮
> 27号

八幡さま便り

■27号

鳩の声

【写真】八幡さま便り22号 平成8年八幡町では、国道48号線土橋交差点付近から八幡共同溝工事が始められま した。車道の中心部を露天で掘削しながら工事が進められましたが、途中からは、シー ルド工法と呼ばれるトンネルを掘るやり方にあらためられ、5年かけて八幡終点と云 われる八幡五丁目交差点まで進められ、平成13年に工事は終了しました。その際に道 路に埋められたままになっていた市電のレールも撤去され、市電の名残も無くなりま した。  町並みからは、電柱電線が姿を消し、綺麗な歩道、街灯、ガードレールが一新され、 街路樹も青桐からスギへと変わりました。  人の意識というものはいい加減なもので、現在の風景に見慣れると、新しい風景も、 何時しか日常へと変化し、以前の状況というものを忘れがちになるものです。  皆さん、七十七銀行八幡町支店の前に横断歩道橋があったのを覚えていらっしゃい ますか。八幡終点・佐勘金物店付近の以前の町並みを思い出すことが出来ますか。  町並みは、経済の発展、生活の変化に伴い、刻一刻と変わって行きます。八幡町で も、古い家が取り壊されてビルやアパートになり、ガソリンスタンドがマンションに なり、酒屋さんがショッピングセンターへと変わり、それにつれて通りを行き交う人 の顔も変わります。  そんなことを思ってみても、現在という「今」は間断なく過去へと移ります。  むかし、渡辺真知子の歌に『現在・過去・未来』という曲がありました。時間の流 れから言えば、過去・現在・未来となるはずなのですが、やはり生きている今現在が、 誰にとっても一番大事なものですね。  それはさておき、私たちの20年30年先はどうなっているのでしょうと、漠然とした 不安は皆さんお持ちのはずです。ただ私たちは、突然現在に暮らしているわけではな く、過去の延長の上に暮らしているわけであり、将来を展望するには過去を顧みるこ とが大事なことになります。  先ず手始めに、今年一年私たちの身の回りのことを思い返して見ましょう。 平成18年が皆様方にとってどんな年であったかは、人それぞれだったろうと思いま すが、12月31日大晦日から一晩たてば元旦になり、新年を迎えます。  新年には、新年の新しい風が吹きます。  平成19年、西暦2007年。どんな年か、皆さんご一緒に体験しましょう。


八幡宮Q&A

Q:月名の一月を「睦月」、二月を「如月」…と言う言葉はいつから使われ、どのような 意味があるのですか?

A:「睦月」「如月」…といった月名を「和風月名」いい、『日本書紀』の月名に訓じ られています。この訓は後世つけられたもので、『日本書紀』成立当時、或はそれ以 前から、こうした和風読みがあったかどうか判然しないところがあります。  各月の語源や意味を見ていくと、花鳥風月、雪月花を愛する日本人は、季節推移に 敏感だと思います。日本人の四季に対する季節感こそ先祖伝来の固有のものではない でしょうか。 ○和風月名の語源と意味○  「睦月(むつき)」(一月)睦月の語源には、正月は互いに睦まじくするところか ら由来します。  「如月(きさらぎ)」(二月)語源についてははっきりしていませんが、一般には、 寒さがぶり返す。いったん脱いだ衣服を更に重ね着することに由来します。この為 「衣更着」とも表せます。  「弥生(やよい)」(三月)語源としては、草木がいよいよ生い茂るという意味の 「いやおひ」説がある。  「卯月(うづき)」(四月)『万葉集』に、大伴家持が天平二十年四月一日に詠ん だ「卯の花の咲く月立ちぬほととぎす 来鳴き響めよ含みたりとも」という和歌があ ります。卯の花(ウツギの花)が咲く頃なので、卯月に由来します。  「皐月(さつき)」(五月)花のサツキは旧暦五月頃に咲くことからの命名であり、 月名の語源にはなりません。また田植えの時期であることから、早苗月や早乙女月の 略とする由来があります。  「水無月(みなづき)」(六月)『万葉集』には「六月の地さへ割けて照る日にも  我が袖乾めや君に逢わずして」(作者不明)という和歌があり、真夏の日照りで地 割れが生じるような陰暦六月の気候を詠んだもの。そこで暑さで水が涸れるミズナシ (水無し)月とし、水無月の字をあてたといわれています。  「文月(ふみつき)」(七月)『日本書紀』ではフヅキと訓じられている一文があ り、(欽明元年「秋七月丙子朔己丑(あきふずきのひのえねのついたちつちのとのう しのひ)」)。稲穂がでる時期なので穂見月、含月(含むはつぼみをもつという意) といった稲作に関連した由来があります。  「葉月(はづき)」(八月)旧歴の八月は新暦では九月となり葉が黄色く色づく頃 なのでハ(葉)月、落ち葉が始まる頃なのでハオチ(葉落)月といった語源説があり ます。  「長月(ながつき)」(九月)夜がだんだんと長くなることからとする夜長(よな が)月からきております。  「神無月(かんなづき)」(十月)俗説によると、八百万の神々が出雲大社に集ま り、神が不在となる為にカミナシ(神無)月といいます。因みに出雲地方ではカミア リ(神在)月と言います。  「霜月(しもつき)」(十一月)『竹取物語』には「霜月しはすの降り氷…」。シ モフリ(霜降)月の語源となっております。  「師走(しわす)」(十二月)よく知られているのは、師(僧侶)がお経をあげる のに奔走する月なのでシハス(師馳)や、四季を果てる月なのでシハス(四極)とい われております。

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