愛宕神社由緒

仙台市青葉区八幡1丁目4-3

御祭神:火産霊神ほむすびのかみ

八幡一丁目(旧十二軒丁)に鎮座する愛宕神社の由緒は、「封内風土記」(明和9年~安永元年【1772年】完成)によると「在二彌勒院中一同ㇾ上」とあり、創建年月日は不明ですが少なくとも江戸時代中期頃には弥勒院の境内社として記録されていたようです。

現在、十二軒丁氏子会に伝わる話によると「仙台宝永の大火」と言われる火事に深く関わりがあり、宝永4年(1707年)に支倉通(現在の支倉町)より出火し、周辺へ延焼。翌年の宝永5年(1708年)には石切町(現在の八幡二丁目)より出火し、国分町及び原町周辺まで延焼し、仙台城下の殆どが焼失したと、仙台で最大の火事と伝えられています。

この大災害を受けて、十二軒丁を始め周辺の氏子は火伏の神様である愛宕神社を大切にして二度と火事を起こさないことを誓い、神社を再整備しました。
以降今日まで大きな火事も無く、十二軒丁愛宕神社は地域の火伏の神様として現在に至ります。

御祭神は火産霊神ほむすびのかみ、別名「火之迦具土神ひのかぐつちのかみ」とも言われ、伊邪那岐・伊邪那美二柱の神生みにおいて最後に生まれた火を司る神様です。

京都市右京区にある愛宕山に鎮座します愛宕神社が総本社となり、全国各地で火伏の神様としてお祀りされております。

例祭日は7月下旬の土曜日となっており、毎年子供神輿の渡御が行われ、町内の皆様で盛大に行われております。

また、この愛宕神社は境内地60坪程度の小さな神社ですが、昔はこの前の小路が西街道と呼ばれ、愛子・作並・山形へと続く後の関山街道(現:県道31号)でした。明治以降神社裏手に道路が整備された為、現在は行き止まりとなっておりますが、古地図を見ると主要な道路であることが確認できます。

「愛宕神社境内」 「文政4年(1821年)に建てられた御社殿」
「平成30年例祭の様子」 「平成30年例祭神輿渡御の様子」
「明治39年奉納狛犬」 「昭和44年奉納扁額」
「平成元年奉納鳥居 令和2年塗替工事」 「昭和11年寄進石碑」
周辺の古地図「今野印刷(株)創業八十五周年記念出版『絵図・地図で見る仙台 第一輯』⑤安政補正改革仙府絵図(安政3~6年)第二師団司令部蔵 2005年今野印刷(株)複製」 周辺の地図「Yahoo!JAPAN地図」