大崎八幡宮自衛消防訓練を執り行いました

令和2年10月20日

去る、10月20日、大崎八幡宮職員での消防訓練を執り行いました。

国宝建造物を有する大崎八幡宮では、毎年1月に「文化財防火デー」として、消防署・消防分団・赤十字・他域諸団体とともに消防訓練を執り行っています。昨今のノートルダム寺院や首里城の消失などを鑑み、当宮の消防施設の点検や使用方法、埋設放水銃の代替としてホースでの放水訓練を執り行いました。

普段、白衣袴の神職たちは訓練という事で防火服を身にまとい、消火栓バルブ・消火ホース導線確保・放水の訓練を行います。
訓練は回を重ねるごとに動作に慣れることが出来ましたが、実際火災の現場に立った時にどのように行動できるかを想像すると、訓練とはいえ身が引き締まります。「備えよ、常に」という言葉があるように、いざという時に的確に行動できるよう、これからも設定を変えて訓練を行います。

小野目

消火栓箱を開き、バルブやホースを点検します
消火栓にホースを接続し、放水を行いました
林野火災を想定し、境内林へ放水いたします
放水訓練後は、総括を頂き、他の消火設備の点検を行いました
大崎八幡宮では、扁額文字の入った防火服があります

諏訪社・鹿島社遷座祭が斎行されました

令和2年10月20日

去る10月5日、6日二日間に亘り大崎八幡宮「末社(まっしゃ)」(その神社に古くから御縁やゆかりある御社)の「諏訪社」・「鹿島社」二つの御社の遷座祭が夕刻午後5時半より執り行われました。
浄闇の中、大広間玄関前より参進いたします。

遷座祭は夕刻暗闇に包まれて行く頃に奉仕されます。宮司以下7名の祭員によって執り行われました。斎服を着装し、穢れを防ぐ為の木綿襷(ゆうだすき)、木綿鬘(ゆうかづら)に身をまとい更に浄めた上で、祓所にて修祓(しゅばつ)・お祓いを受け祭場へと向かいます。

1日目は諏訪社、2日目は鹿島社の遷座祭を行いました。まず旧社殿前にて遷座奉告の儀を各ご祭神にお伝え申し上げました。

宮司は御霊代(みたましろ)を捧持し覆面と手袋を身にまとった祭員によって絹垣(きぬがき)に覆われた中、照明は完全に落とされ、警蹕(けいひつ)という掛け声が響き渡り御神体は新しい御社へお移りになられます。 御霊代は新しい社殿の内陣に納められました。

引き続き青森ヒバの香りも麗しく漂う新社殿にて清められたお供え物が献ぜられます。

そして宮司祝詞奏上。この度の新社殿造替工事は令和の御代替りに併せた天皇陛下御即位御大典記念事業として行われたものでした。

良き日の宵の佳き時に、新社殿にて大神様の御神徳を称え、皇室の弥栄を寿ぎ、氏子崇敬者・ご参拝の皆様を末永く御護り下さいますことを祈念申し上げました。

役員総代等協議を重ね、工事関係者が緻密に計画し真心を込めて造営し、氏子崇敬者皆様方のお力添えによってようやく竣功の日を迎えることが叶いましたこと、深謝申し上げます。

一日目は工事関係者の皆様にご参列頂き、二日目は役員総代の皆様にご参列頂きました。ほの明かりの行灯に灯された厳かな斎場にて、ご参列の皆様はお一人ずつ玉串奉奠拝礼をなされました。

奉祝天皇陛下御即位記念事業がここまで辿り着くまでの道のりをそれぞれに無言のまま噛みしめた上でのご参拝だったかと想像いたしました。帳と御簾が下がり、御扉が閉められます。

遷座祭の夜はふさわしい十月の月明かりが雲間から煌々と照らされていました。令和の御代は始まったばかり、先ずもって天皇陛下の御即位を奉祝申し上げ、皇室のご安泰と日本の安寧、世界の平和、氏子崇敬者皆様のご繁栄を祈念申し上げます。

どうぞお詣りの際には新しい諏訪社・鹿島社にてもご参拝されまして、昂ったご神威のご加護を受けられますことを八幡宮にてお待ち申し上げております。

境内整備事業はまだ引き続き行われており、ご奉賛も受け付けておりますので、趣旨ご理解の上ご賛同ご協力のほど何卒宜しくお願い申し上げます。

祭儀課 日野

天皇陛下御即位記念 境内整備事業「三之鳥居扁額磨き上げ事業」完了

令和2年10月2日

去る10月2日、令和2年6月より始まった大崎八幡宮三之鳥居に掲げられている「扁額」の磨き上げ工事が終了し、お披露目されました。

小野目・浪打

1、盤面から部品を取り外します。
2、部品の一部の金箔がはがれているのがよくわかります
3、専用の溶剤を使い、金箔を綺麗に剥がします
4、細心の注意を図り、金箔を載せ、磨き上げます
日の丸 蟹牡丹
仙台笹 九曜
仙台五代藩主伊達吉村公揮毫「八幡宮」も美しく甦りました 裏には明治三十一年九月三十日、寄進者の銘が残る、大変貴重な扁額です
三之鳥居は、享保3年(1717年)に仙台藩五代藩主吉村公に寄進されました。

吉村公は和歌や書道に優れた才能を示され、鳥居の扁額の「八幡宮」の文字は、当時の吉村公の字とされています。その八幡宮の文字を囲むように、伊達家の家紋が添えられており、上側より「日の丸」「竹に雀」「蟹牡丹」「丸の内に堅三ツ引両」「九曜」「竜胆車」が描かれております。

かつて昭和63年の大崎八幡宮御鎮座現380年記念事業の一つとして建てられた一の鳥居が出来るまでは二之鳥居(石鳥居)が 一之鳥居であり、現三之鳥居は二之鳥居や赤鳥居と呼ばれて親しまれてきました。

鳥居を寄進された伊達吉村公は、陸奥国仙台藩五代藩主、伊達家宗家に於いては二十一代目にあたります。吉村は先代の伊達綱村公の代で背負ってしまった大幅な負債を抱えて仙台藩五代目になり、破綻と言っても差し支えないほど悪い経済状況ではありましたが、改善のためにいくつも手を打ちました。各役職の整理をはじめとして、石巻で発行された銅銭を用い領内でやり取りすることで利益を得たり、買米仕法(藩が強制的に農民の米を買い上げ、その米を江戸で売り、利益を得る方法)を行ったりして利益を段々と積み重ね始めました。

享保17年(1732年)に西日本で享保の大飢饉が起こると、その年は豊作であった奥州は米を江戸で売りさばき大幅な利益を得て、仙台藩はついに黒字へと好転したのです。この偉業を成し遂げたことから、吉村公は仙台藩の中興の英主とも呼ばれます。

皆様には、御目麗しく装い磨き上げられた鳥居をくぐり、八幡様へ祈り下さい。