駐日スペイン大使館文化担当参事官御一行の正式参拝がありました

令和6年3月18日


御社殿前にて記念写真を撮影しました

令和6年3月18日午前11時より、駐日スペイン大使館文化担当参事官ヘスス・サンツ殿御一行9名が来社され正式参拝を斎行いたしました。

駐日スペイン大使館文化担当参事官御一行は、日本の中でもスペインと特に縁深い仙台の寺社仏閣を訪問するために来仙されたそうで、伊達政宗公が建立された当宮にも足をお運びくださいました。

スペインと仙台は、仙台藩主伊達政宗公が仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにノビスパニア(メキシコ)との直接貿易を求めて、イスパニア(スペイン)国王およびローマ教皇のもとに派遣した外交使節(慶長遣欧使節)からご縁が始まっています。

当日は前日の陽気と打って変わって、最初は小雪ちらつく天候でしたが、正式参拝が終わるころには快晴となり、天の上の伊達政宗公がこの参拝に対し、お慶びになられているように感じました。

大麻によるお祓い 代表者の玉串拝礼
当宮職員による御社殿の説明 青葉城資料展示館の大沢学芸員による説明

駐日スペイン大使館文化担当参事官御一行は、松島の瑞巌寺や瑞鳳殿、仙台城跡なども観て回られたそうですが、特に当宮が印象深いと仰って下さっていたようです。その理由として、日本も含め世界的な風潮として、文化財等に登録された寺社仏閣の多くは文化財として保護をした上での拝観を受け付けても、実際に祭事で使用する事は稀となっております。当宮は国宝に指定されていながら、日々の御祈祷や毎月の月次祭等の祭典神事をご社殿で斎行しているという事実が「生きている文化財」として強く印象に残ったようでございます。

また、当宮宮司は約30年前にスペインに渡西し、支倉常長が当時のスペイン国王フェリペ3世に奉献したとされる鎧の調査に携わったそうで、当時の資料を手に、現在その鎧がどのようにスペインで守られているのかを尋ねておりました。

参事官に調査を依頼する当宮宮司 参事官サンツ殿と当宮宮司

約1時間という短い滞在時間ではありましたが、御社殿の建築方式や殿内の彫刻・彩色等々、随所に散らばる政宗公の伊達な美意識を堪能していただけたようでして、充実した正式参拝となりました。

「生きている文化財」を後世に遺してゆくためにも、職員一同神明奉仕に励んで参らなければならないと強く感じた交流でございました。

祭儀課 浅香

令和6年能登半島地震 災害支援活動報告

令和6年3月11日~13日

活動概要
期日:令和6年3月11日~13日
支援場所:石川県輪島市 重蔵神社
出向者:宮司以下神社職員5名
活動内容:支援物資搬入、プレハブハウス設置

皆様ご存じの通り、令和6年1月1日午後4時10分に能登半島で発生した「令和6年能登半島地震」では、能登地方を中心にマグチュード7.6、最大震度7を観測したほか、近隣の新潟県では最大震度6弱や5強、富山県と福井県でも最大震度5強を観測しました。また、1月1日の本震以降、余震は3月12日現在で1700回余りを数え、広い範囲で各地に甚大な被害が出ております。

当宮では、この度の震災に際して現地の皆様のために何か出来ることはないか、宮司以下職員が熟慮の結果、現地に支援物資をお届けすることとなりました。

当宮では神社関係者を始め仙台市内外へ広くお声掛けしましたところ、皆様より多くご賛同頂き、食品や日用品など沢山の支援物資の品々をご提供頂きました。加えて当宮にて購入させて頂いたものを含めトラック2台へ品目別に積み込み搬送する事と致しました。

主な行程
3月11日午前8時40分頃、私たちは大神様に道中の安全を祈願し大崎八幡宮を出発しました。

道中、北陸道・米山SAで「東日本大震災」で犠牲となった被災者の皆様への黙とうを捧げ、午後6時頃、富山県高岡市のホテルに到着。翌日の石川県入りの道路状況等の確認を行いこの日の行程を終えました。

3月12日午前8時頃、輪島市へ向け出発し氷見市、七尾市を抜け、正午過ぎに目的地である石川県輪島市に鎮座する重蔵神社へ到着致しました。

輪島市に近づくにつれて路面の亀裂や陥没、地滑りによる崩落など損傷した箇所が増え、通行規制箇所も多くなりました。

重蔵神社に到着した我々が目にしたのは笠木、島木が落下破損した鳥居と、その前の駐車場に設営された炊き出しのテントやコンテナハウスでした。そこでは昼食の支援が行われており、地域の皆さんが列を作っていましたが、私たちはすぐに降雨の中、支援物資の荷降ろし作業を始めました。

品目ごとに指定の保管場所へ荷物を運び、その後、当宮で持参したプレハブハウスを神社駐車場入り口に設置しました。あいにくの雨が降る中での作業でしたが、約2時間ほどで作業は完了しました。作業終了後、重蔵神社の能門亜由子禰宜の案内により神社境内の建物の被害を拝見し、少しお話もお伺いすることができました。

能門禰宜のお話によると、「輪島市の支援が2月末で終了してしまったので、自分たちで生活に必要なものや食事を確保しなければいけない」とのことでした。

神社として地元への支援活動は震災後から行ってこられたそうで3月は炊き出しを重点的に行っており、地元の飲食店の協力を得て大型の冷蔵庫を借り食材を保存し、この日もボランティアの露天商の方が調理を行っていました。

また、栄養士からの指導で水分とタンパク質、野菜を多く摂取できるものを提供するように言われているとのことで今回持参した大量の野菜と豚肉や鶏肉などの食材には大いに喜んで頂けました。

重蔵神社の被害状況としては拝殿が基礎から傷んでおり、左側に大きく傾いてしまった状態となり、今後3年間は大きな余震の発生を考慮して修復工事等を行わず現状のまま放置する予定とのことでした。また、今回の地震で崩壊してしまった拝殿は以前、火災が発生したことがあり、その際は修繕するための予算が確保できず、お寺の部材を再利用した建物だったそうで、構造的にも今回の地震に耐えられなかったようでした。

この他、屋根だけ残り完全に潰れた社務所や斎館、境内の至る所で灯篭などの構造物や倒壊した境内社、神事用の倉庫などが手付かずの状態になっていましたが、幸いにも山車だけは無傷で残ったそうです。本震で山車を格納していた覆屋が傾いたものの広島からのボランティアが提供してくれた重機で覆屋を吊り上げ山車を運び出すことに成功したが、運び出された山車はビニールシートが掛けられ野晒しになっていました。

(写真右奥の建物が余震で倒壊した覆屋) (覆屋から運び出した山車)
(傾いた重蔵神社拝殿) (倒壊した灯篭)

現在、重蔵神社の氏子さんは約1,000戸ほどいらっしゃるそうですが、今回の地震で引っ越しをされる方々も出てくると予想され、神社を再建できても氏子さんが半分以下になると神社運営が難しくなると話されていました。それでも、4月5日には現在、ご神体を預かって頂いている金沢市内の神社をお借りして春祭りを斎行し、氏子区域を子ども神輿が巡行する予定だそうですが春祭りの予算が足りず現在工面するのに苦労しているとのことでした。

能門禰宜は震災を経験して感じたこととして、全国から多くの支援物資を頂いたが移動させる手段がなく困られたそうでフォークリフトの免許を持っていることや軽トラックを持っていることも災害への備えなのかもしれないと話されておられました。

以下、この度の当宮の災害支援活動へご賛同頂き、支援物資をご提供頂きました皆様です。
ご協力頂きましてありがとうございました。

No. 団体名・氏名
1 淺香 宗利
2 熱日高彦神社 黒須 悠
3 仙台北RC 池田クリニック 綿谷 秀弥
4 (株)伊藤園
5 仙台北RC AIG損害保険(株)
6 及川 敬子
7 (株)オイタミート
8 (有)大友貸ふとん店
9 仙台北RC 鹿島建設(株)
10 仙台北RC (株)カメイ商事 佐藤 糺
11 工藤 良博
12 コカ・コーラボトラーズジャパン(株)
13 西城 麻実子
14 サイデック(株)
15 (株)斎テント
16 総代 佐藤 幸二
17 総代 佐藤 信一
18 (株)佐勘金物店
19 (株)白松がモナカ本舗
20 仙台北RC 鈴木工業(株)
21 炭のたかやま
22 仙台北RC (有)清山社 横山 洋平
23 仙台北RC (株)関・空間設計 渡邉 宏
24 仙台北RC 大和証券(株) 渡辺 小雪
25 責任役員 千田 文彦
26 (株)ヌマタ食品流通センター
27 仙台北RC (株)バイタルネット
28 日野 美咲
浅香 光莉
29 日野 康子
30 ファミリーストアたくみ
31 仙台北RC 富士フイルム
ビジネスイノベーションジャパン(株)
32 ヘルスマート フタミ薬局
33 総代 星山 己知郎
34 仙台北RC ホテルJALCITY 阿部 毅
35 宮城縣神道青年協議会
36 仙台北RC事務員 毛利 純子
37 総代 森 和男

(五十音順・敬称略)

被災地の一日でも早い復興と現地の皆様のご健勝を職員一同、ご祈念申し上げます。

大崎八幡宮 社務所

向山愛宕神社の鎮火祭に参列して参りました

令和6年3月4日


鎮火祭が斎行された愛宕神社の御社殿

令和6年3月4日午前11時より、仙台市太白区向山4丁目に鎮座する愛宕神社にて斎行された鎮火祭に、当宮より2名の神職が参列して参りました。

愛宕神社は仙台駅より南へ約3.5km、 仙台城址より南東へ約2.5kmに位置し、東に太平洋、西に蔵王連峰、 南に大年寺山(伊達家四代以降歴代霊廟) 、北に栗駒山、眼下は清い流れの広瀬川を望み老杉茂る景勝の地、愛宕山に主祭神軻遇土神のほか十二柱の神々をお祀りされています。現在の社殿は慶長8年、藩祖政宗公千代城に入城と同時に御造営になり御遷座されたそうです。

由緒は古く羽州米澤に御鎮座になられ、天正19(1591)年 藩祖伊達氏十七世政宗公が、米澤より陸奥國玉造郡岩出山に移るに際して、社も岩出山に御遷座、慶長8(1603)年政宗公の仙台入府に合わせ社も一時国分荒牧村(現元寺小路)に仮遷座を行い、同年仙台城や城下を一望できるこの愛宕山に御社殿を御造営になられ、御遷座申し上げ、誓願寺を別当寺とし、合わせて5貫720文を寄進されております。以降藩内の安全を祈願するなど、とくに火防の祭は城下挙げての盛大な祭りが行われたといわれております。

鎮火祭とは神代の昔に、荒ぶる軻遇土神(火の神)の災いを防ぐ方法として、神々が水、川菜にて鎮めた故事による祭典でございます。軻遇土神を祀る愛宕神社では、旧正月の24日にあたる日に火の災禍を鎮める特別な神事として代々継承されており、特別な神饌として「鮑」や「芹」が供されるのが特徴で、2時間かけて祭典が斎行されています。

この度の祭典には当宮の神職2名が勉強の為に参列して参りました。以下感想でございます。

【浪打権禰宜】
「愛宕さんの鎮火祭」、と以前より何度も耳にしており興味を持っていたため、今回の神事に参列できたことは大変貴重な機会でありました。当日受付を済ませると、受付のすぐ横にある机の上にはなかなか間近で見られることができない鎮火祭神饌・注連縄が並べてありました。奉仕する神職以外は近くで見られないと思っていたため大変印象に残っております。神事斎行中は奉仕神職また伶人の一挙手一投足、また殿内舗設に至るまで注視しておりました。また参列氏子崇敬者の皆様が静かに奉仕神職の姿を見つめるさまから、この神事がいかに地域に根付き防火意識を高めていることに繋がっているかが伺えました。

この度の参列からはとても良い刺激を受けつつ、仙台市の魅力をまた一つ知ることができました。

鎮火祭には芹や雉など珍しい神饌がお供えされます。(写真:向山愛宕神社提供)

【浅香権禰宜】
この度は特殊神事である鎮火祭の参列の機会を頂戴し、他社の祭典に参列できる機会はそう多くはございませんので、祭員の動きや社殿の装飾、その他神饌・祭器具に至るまで見聞きする物全てが新鮮でございました。中でも、参列者全員が玉串拝礼を行うという祭典の流れは、参列者の防火の念を強くする事に繋げているように感じました。参列者として見た祭典の全容や気付きは、今後の祭典奉仕の際に活かして参りたいと思います。

各社様々な祭典や催しを斎行されておりますので、当宮の職員も積極的に参列し勉強を重ね、斯界の発展に寄与できるよう精進して参りたいと存じます。

祭儀課 浅香