45号

鳩の声

雅楽は「管絃」「謡物(うたいもの)」「舞楽」の3つに分かれていますが、そのなかで「管絃」は管楽器、絃楽器、打楽器を使い演奏する形式をいいます。平安時代では貴族の教養であったとされており、貴族は何れかの楽器の演奏ができ、独奏や合奏も修得していたそうです。「管絃」は「三管三鼓両絃(さんかんさんこりょうげん)」といい、笙、篳篥、龍笛の管楽器、羯鼓(かっこ)、太鼓、鉦鼓(しょうこ)の打楽器、琵琶、筝の絃楽器により演奏するのが通常の編成ですが、演奏者が少なく、何れかの楽器が欠けていても演奏することができます。曲は、1000年以上古くから約200曲伝わっていて、現在でも新しく作曲されています。

雅楽の伴奏において、歌を歌う「謡物」と呼ばれるものがあります。それは、宮中の祭典に用いられる「御神楽(みかぐら)」や日本古来の国風歌舞である「和舞(やまとまい)」、「東遊(あずまあそび)」など十数種類に及びます。「御神楽」は「賢所(かしこどころ)」といわれる場所で行われるとても神聖なものですが、以前は庶民の間で歌われていた歌が宗教の儀式に取り入れられたといいます。昔は、68曲もの曲が存在したそうですが、「応仁の乱」の影響もあり衰退してしまいました。その後江戸時代に入り復曲が試みられ、現在は伝統を受け継いでいる宮内庁式部職楽部に10曲が伝えられております。

前文の通り管絃や謡物それぞれ素晴らしいのですが、雅楽の花となるのは「舞楽」ではないでしょうか。舞楽は舞台が設けられており正式には四間四方の正方形の舞台に赤い高欄を巡らせ、内側に緑の布を敷き、天皇陛下や身分の高い人は北側に座り舞台が正面に位置するようにしています。舞人は南の開口部から舞台に上がり天の力と足を踏みしめ大地の力を頂き拝観席の方へ送ります。舞楽は舞により装束、面や持ち物が多様に変わり、その世界に惹きこまれ見入ってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。

当宮では、毎月1日と15日に行われている祭典にて職員4人編成の三管一鼓で管絃を演奏しております。また毎年8月に行われる「御鎮座記念祭」、一般の方で楽器を吹いている方も参加可能な「雅楽の夕に、」は国内や海外で演奏活動されている伶楽舎の方たちをお招きし、三管三鼓両絃の形で演奏します。「管絃」と「人長の舞」(御鎮座記念祭)「神前神楽巫女舞」が奉納され、巫女が着る装束は『萬代の舞』、『浦安の舞』、『青葉の舞』の3つに分かれます。舞人が頭にかぶる天冠にさす花や、手に持つ採物(とりもの)の花も四季により違いがあります。『青葉の舞』は伊達政宗公の「入そめて」という和歌を詠って作られた舞です。

「入(いり)そめて 国ゆたかなる みぎりとや 千代(ちよ)とかぎらじ せんだいのまつ」と仙台の将来の繁栄や平和を願い、この和歌が詠まれました。

八幡宮Q&A

Q:冬季に行っている祭典行事について教えてください。

A:【天長祭(天皇誕生日)】
天長祭は天皇誕生日に宮中三殿で行う祭典ですが全国の神社でも行われております。国民が慶祝の意を表し、天神と地神の恩恵や御加護に感謝し天皇の寿命と治世が長く続くよう祈ります。
天皇誕生日は明治六年に太陽暦が採用された後10月14日の太政官布告により国民の祝日と定め、即位した天皇の誕生日に合わせ天長節が定められました。
昭和23年まで『年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム、休日ニ関スル件』など勅令により具体的な日付で規定され戦前は新年・紀元節・明治節の「四大節」の一つとして盛大に奉祝されていたそうです。またこの年は天皇誕生日ではなく「天長節」と呼ばれておりその年に祝日法が制定され、翌年以降より天皇誕生日として国民の祝日と定められました。
また平成元年まで当初は4月29日が天皇誕生日とされておりましたが今上天皇誕生日が12月23日である為この日に合わせ日付を移動しています。

【松焚祭】
当宮の松焚祭は300年の歴史を有する全国でも有名な正月送りの行事です。当宮では、松焚祭(まつたきまつり)といいますが火の勢いの様子から「ドンド焼き」、一般に「左義長(さぎちょう)」等とも呼ばれる地域があります。毎年多くの方が古神札や御守りを納めに来られ、その古神札等は忌火によりお焚きあげされます。
かつてこの火はあたると心身が清められ、一年間無病息災や家内安全の御加護を得ると伝えられております。白鉢巻きと白さらしを巻き、私語を慎む為の「含み紙」を口にくわえ、右手に鐘、左手に提灯をそれぞれ持ち、多くの方々が「御神火」を目指して参拝する「裸参り」は仙台の冬の風物詩として全国に広く知られています。
毎年市内の多くの団体企業の方々に「裸参り」のお申込みを頂いておりますが、最近では個人のお申込みも増えております。是非お誘いの上「裸参り」で参拝されてはいかがでしょうか。