49号

鳩の声

八幡さま便り表紙

おおよそ科学が発展する前の時代は、宗教が科学を含むすべての学問の最先端を担っておりました。また、信仰という面で精神的にも人々に受け入れられていました。多くの人が信じる宗教は、そのまま世の中の考え方の基本となりました。キリスト教が国教であった国にいたジョルダーノ・ブルーノは、かのガリレオ・ガリレイより前に、地動説を支持し、当時カトリック教会が支持していた天動説を認めなかった為に、異端尋問の末、死刑となりました。ガリレオ・ガリレイは天動説か地動説かの争いで、物議をかもしました。どちらも判決の基準となったのは、キリスト教の教えに基づいてのことでした。日本でも平安時代の法律には細かく神道の祭祀の仕方が定められていました。世界的に宗教が世の中の考え方の基本となっていたことがお分かりになるかと思います。しかし、現代では科学が発展し、少なくとも日本では、宗教が世の中の考えの基本となるどころか学問の最先端であるという人は多くはないでしょう。そうすると宗教に残ったのは「純粋な信仰」という部分であり、それは精神的な面で人々を支えていく役割となりました。

しかし、今では、すべての人が宗教を精神的な支えとするわけではなく、人によっては、それがアイドルだったりアニメだったりとさまざまな受け口が存在するようになっています。そんな中、神社の役割とは、神道の役割とはなんでしょうか。神道には、仏教、キリスト教のような心の支えとするような経典、バイブルは、無いとされております。誰かがこうしなければいけないというものも明確にはありません。それなのに、日本で重要な宗教として、神社にお参りをいただき、海外の人も素晴らしいと言ってお参りいただいています。そこに神様がいるからと言ってしまえば、味気ないですが、幼いころに神様はいるのかと疑問に思い、その説明や回答を求めたのではないでしょうか。ここで、一つの考え方を皆様にお伝えできればと思います。

神道は、「なにかを託されるもの」で、神社はその「なにかを託す場所」としてあるのではないかということです。何を託すかというと、それは人によって受け取るものは様々と思います。けれど一般的に多く神社にお参りに来た人が受け取って帰られるのは、日本の伝統文化とか祈りといった部分だと思います。深く神社に関わる人は、人とのつながりの中で地域の中の文化も一緒に託されていきます。どちらも、先祖からの大きな流れの中で、その考え方や感覚というものを先祖と自分とで同じにしていくことなのです。それが託し、託される神道そして神社であります。

またよく感謝が神道だと言われますが、その根底には先祖から受け継いだものに対する感謝というのがあるのではないでしょうか。そこから「おかげさまでという気持ち」が生まれてきます。もちろん、神様のおかげでというものもありますが、目に見えない存在だけでは納得できない、神様なんているのという疑問を一度でも持った方にとっては、このほうが理解しやすいのではないでしょうか。

御鎮座四百壱拾年記念事業ご報告

 平成二十七年度より「御鎮座四百壱拾年記念事業」を開始し、二年が経ちました。皆様の格別の御奉賛を賜り、無事完遂した事業につきまして以下の通りご報告致します。



【平成二十七年度事業】

【平成二十八年度事業】

美装事業は年内にて終了致します。新年は、美しく輝く黒漆塗りの御社殿をご覧にご参拝にいらしてはいかがでしょうか。