60号 「結婚について」

八幡さま便り表紙

結婚は、数ある人生儀礼の中で最も晴れやかな人生の節目といえるでしょう。神々の深い恵みと思いやり、お計らいによって結ばれた二人が御神前にて、人生の苦楽を共にして明るく楽しい家庭を築き、子孫の繁栄をはかることを認識する大事な機会だと考えられます。

神前結婚式は、現存する日本最古の書物『古事記』の中で、最初の夫婦の神様として有名な伊耶那岐命と伊耶那美命の国生みの儀式が原点と言われています。

現在のような神社における結婚式の形は、明治33(1900)年5月10日、皇室婚嫁令により、当時皇太子であられた大正天皇と九条節子姫(貞明皇后)が、宮中賢所(かしこところ)大前において取りおこなわれた御婚儀に、大きな影響を受けております。

翌明治34(1901)年、この御婚儀に基づき定められた次第による神前結婚式が、一般でも日比谷大神宮(現・東京大神宮)において初めて行われ、全国各地に普及するようになりました。

大正12(1923)年におきた関東大震災の後、神前結婚式は新しい局面を迎えます。この震災で、神社仏閣が大きな被害を受け、「帝国ホテル 東京」の宴会場の一角に臨時の祭壇を設けたことがきっかけとなり、ホテルに神前結婚式場が建設されるようになりました。また第二次大戦後は、日本の家屋の造りも、昔ながらの大部屋が主体の様式から小部屋が中心の様式に移行し、人々が集まる空間の縮小が顕著となっていきました。

そうした経緯や、昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックを機に、神前結婚式が挙行できる設備の整ったホテルや式場が次々に開業したという後押しもあり、結婚式の約8割が神前結婚式の形態で挙行されるようになったと伝えられています。

このように歴史をなぞると神社における結婚式は、明治時代、新たに創られた儀礼のように受け取られることがありますが、儀礼の内容を見ると、各家庭を式場としておこなわれてきた伝統的な婚儀の形を参考としていることが分かります。

この形は家庭の床の間に、伊耶那岐命と伊耶那美命の御神名の掛軸や、自ら信仰する御神名、また縁起物の絵画の掛軸などを飾り、その前に御神饌や御神酒をお供えして祀り、この御神酒を三三九度 により新郎新婦が戴くことで、夫婦の契りが結ばれるという信仰に基づくものです。後に家庭から神社へと式場が移っても、この考えには変わりはありません。

100有余年の歳月をかけて洗練された形式美と日本古来より続く伝統に息づく神前結婚式は、当宮にても子鳩達が真心こめてご奉仕させて頂いております。ご興味のある方は電話やメールにてお問い合わせ頂ければと存じます。

Q何故、誓盃の儀は「三三九度」とよばれているのですか。

A 三度を三度重ねることで、縁起の良い数といわれる陽数であるからとされています。一、三、五、七、九の数の中で最も大きな数である九になり、幾久しく幸せな家庭が続くようにといった願いが込められています。

Q花嫁の頭を覆う白い布はなぜつけるのですか

A 日本では古くは、上層社会の女性は外出の時に素顔を見せることはしませんでした。平安時代には、女性用の菅の笠の縁に布を垂らした「市女笠」をよく被りました。また鎌倉時代には衣を頭から被る「被衣」と呼ばれる姿となり、江戸時代になると武家の間で「揚帽子」が被られる様になりました。そして明治時代に入り、身分制度の廃止と共にその「衣装」が婚礼にも取り入られ、一般にも広まりこの「揚帽子」を簡略化したものを「角隠し」と呼ばれるようになりました。この呼称は、嫁いだ後の女性は自己主張を慎むべきという当時の風習からきていますが、本来の意味は「婚姻前の女性は、男性に素顔を見せない」という習慣から生れたもので、三三九度の儀が終わるまでは角隠しは取らず、婚姻の儀が成立してはじめて素顔を見せていたようです。