わが国の結婚式の多くは神前結婚です。これは幼時から年齢の段階ごとに祖先の神々に報告して来ましたので、その延長です。また誰が強制したのでもないのに自然にこのような傾向にあることは、言わず語らずして民族の血と心がそうさせるのだと考えられます。

神代の昔、イザナギ、イザナミ二柱の神は「天の御柱(みはしら)」をめぐって結婚式をなさいました。天の御柱は神霊の宿る木ですから、二柱の神は神前結婚式をなさった訳です。今のように神主さんが司祭をする神前結婚式が流行しだしたのは明治以後ですけれども、もとを正せば神代以来の伝統といってよいでしょう。その証拠に、明治時代以後の結婚式の多くは家庭で行われましたけれども、高砂の尉(じょう)と姥(うば)の掛軸を床の間に下げ、その前に松に鶴亀の置物を飾った島台(しまだい)を置きました。この掛軸や島台が、いわば神さまの代理のものであったのです。つまり家庭結婚といっても、それが神前結婚式といえるものであったことは確かです。

結婚式が神聖な儀式であることは、その儀式が神事であることは勿論ですが、新郎新婦の晴着が「神事の服」であることによっても知られます。ことに花嫁の角かくしとか綿帽子は、神の御前に出るためのかぶりものです。このかぶりものは、神主が冠や烏帽子をかぶっているのと同じことで、古事記の天の岩戸開きのときに天宇受売命(あまのうずめのみこと)がヒカゲノカヅラをかぶったとあるのが文献の最初に見えるものです。花嫁の一生に一度のかぶりものが、神聖な用具であることは見逃すことができません。

神主さんの祝詞(のりと)の後の盃事(さかずきごと)は、神に供え、神霊のこもった御神酒をくみかわすことです。誓詞を神さまに申し上げ、指輪を交換し玉串を捧げて拝礼する次第は、神さまの御承認をいただくことが公認の要素として欠くことのできないことを示しています。これで二人は、晴れて夫婦となることができるのです。

御披露は昔はさまざまなしきたりがあり、それはまだまだ残っています。けれども、現代の御披露は披露宴に親戚知人などを集めて行う方式が多くなっています。御披露は、結婚式が神さまへの御報告であるのに対して、人間の方に社会的承認を求める儀式です。

結婚式場などに「何々家何々家の結婚式」とか同じく「披露宴」であるとかの表示があるのは、やはり結婚式が「両性の合意」だけではないのだということで、興味深いことです。

婚礼の吉日

(俗信)

十二直の建(たつ)、平(たいら)、定(さだん)、成(なる)の日、または大安の日を大吉とする。

結婚記念式

紙婚式 1年
木婚式 5年
錫婚式 10年
水晶・銅婚式 15年
陶婚式 20年
銀婚式 25年
金婚式 50年
金剛石婚式 75年