太陰太陽暦

陰暦、太陰暦、旧暦などと呼ばれることが多いが、太陰太陽暦が正しい。この暦法は、月の朔望(みちかけ)によって月日を数え、閏月を挿入して季節に合わせるものである。新月から次の新月までの期間は、平均二十九日十二時間四十四分であるため、太陰太陽暦では、一ヶ月の日数を大の月三十日、小の月二十九日とする。これにより一年は三百五十四日前後となり一太陽年との差が十一日となる。

この差は三年弱で一ヶ月に達するので、閏月を置いて調整をしなければならない。閏月と次の閏月との間隔は平均二年九ヶ月で、十九年間に七回閏月を置く方法(十九年七閏法)が古くから行われた。中国では漢以来立春を新年とする風習があり、わが国でもこれを受入れて今日に至っている。太陰太陽暦では、日食は必ず朔日に、月食は十五日前後に起きる。

太陽暦

地球が太陽の周りを一回転する回帰年、すなわち三六五日五時間四十九分を基とする暦法で、一年を三六五日または、三六六日とする。太陽暦では毎年季節と暦の日附が一致する。

わが国で現在用いられている太陽暦は、西暦前四十五年にシーザーによって制定されたユリウス暦を基本とし、その置閏法を改訂したグレゴリオ暦(一五八二年、ローマ法王グレゴリオ十三世制定)である。

わが国では明治五年十一月九日の太政官布告によって、翌六年一月一日から実施された。

グレゴリオ暦は欧米先進諸国において広く用いられ、世界の標準的暦法となっている。この暦の置閏法は、西暦年数が四で割切れる年を閏年とするが、ただし百の倍数のときは、四百の倍数の場合を除いて平年とする。

わが国では、明治三十一年の勅令に基づき、神武天皇即位紀元(皇紀)を西暦に換算して実施している。