令和7年 例祭を斎行致しました

令和7年9月15日


祭典終了後に外拝殿舞台上にて記念写真を撮影しました

令和7年9月15日午前11時より例祭が斎行されました。

例祭は恒例によって1年に1回斎行される最も重要な祭祀です。多くは御祭神または神社にとって縁の深い日を以てあてられており、濫りにその日時を変更する事は許されておりません。当宮では9月15日が例祭日と定められており、秋晴れの中、粛々と祭典が斎行されました。

例祭においては、神社を包括する宗教法人である神社本庁から幣帛料として本庁幣が御神前にお供えされます。本庁幣は唐櫃に納められ、2人の唐櫃所役が捧持します。本年の唐櫃所役は、國學院大學指定神社実習Ⅱで実習中の女子大学生2名にご奉仕頂きました。

大玄関前に列立し、時刻を待ちます 祓所にてお祓いを受けてから御社殿に向かいます

その本庁幣を献じるために献幣使と随員が参向されます。本年は献幣使として宮城県神社庁理事・中田神社宮司の懈良武殿、その随員として宮城県神社庁参事・藤田神社宮司の宮澤高志殿に参向頂きました。本庁幣は白木の雲脚台で献じられます。

因みに「幣帛(へいはく)」とはまた古来より由来深いものですが、昔は布などを指すこともあったそうです。また、全国の神社に幣帛料が供進されるのは、各神社の御祭神に捧げられる神の依り代として、浄めの力が配られることの意味もあると言われます。

献幣使は本庁幣を献じた後、祭詞を奏上します。祝詞や祭詞の奏上が1度の祭典中に2回行われるのは例祭のみとなります。

仕女の最たる奉務内容はこの御神楽奉仕でございます

御神楽は浦安の舞が奉奏されました。浦安の舞は巫女舞の中で最も格の高いものとして位置づけられております。今回は例祭であり重要な祭典である事から十二単を模して考案された本装束を着装した当宮仕女2名が奉仕申し上げました。

例祭は当宮の責任役員・総代の参列があり、玉串拝礼をして頂きました。祭典当日は三連休の最終日ということもあり、境内には例祭を参観される方が多くいらっしゃいました。

本年の例大祭におきましても、責任役員・総代・世話人・氏子崇敬者の方々の多大なるお力添えにより例大祭関連行事が滞りなく斎行する事が出来ました。職員一同深謝申し上げると共に、八幡様と皆様の懸け橋として日々のご奉仕に邁進して参ります。

祭儀課 浅香

令和7年例大祭流鏑馬神事を斎行致しました

令和7年9月14日


本年より、馬場石積上に特別拝観席をご用意しました

令和7年9月14日午後3時30分より流鏑馬神事が斎行されました。昨年は生憎の悪天候により、神事斎行30分前に泣く泣く中止とさせて頂きましたが、本年は秋を感じる爽やかな風を受けながら、無事流鏑馬神事の斎行となりました。

流鏑馬の語源は、馬を馳せながら矢を射るところから「 矢馳せ馬(やばせうま) 」と呼ばれ、時代が下るにつれて「やぶさめ」と言われるようになったとされます。

その起源は古代、中世にあり、弓馬礼法は寛平8(896)年に宇多天皇が源能有に命じて制定され、実践的弓術の一つとして平安時代から存在していました。『吾妻鏡』には源頼朝が西行に流鏑馬の教えを受け復活させたと記されており、武士の嗜みとしてまた恒例行事として、盛んになることもあれば、何度か廃れた行事でもありました。

当宮の流鏑馬は遠田郡八幡村に鎮座していたころより9月15日の例祭に執り行われていたと記録されており、創建と同時に、伊達政宗公により再び復活されましたこの例祭祭礼における当宮の流鏑馬奉納神事は、これを奉納する射手は近年まで岩出山出身の者に限られていたそうです。

また古くから流鏑馬行事の後には、その的の奪い合いがあったとも伝えられ、その様子は、仙台市博物館に展示されている『大崎八幡宮来由記』所載の「御神事之流鏑馬」の図に細やかに描かれております。

殿内での出陣式の様子 馬場末にてお祓いの様子

神事は、先ず安全祈願を本殿にて斎行し、出陣式を執り行って、その後馬場末において神職が馬を大麻と塩で祓い清め、次に4騎の馬に馬場祓役と射手達が乗り、先ず馬場祓役が祓串を片手に「オーッ」という掛け声とともに馬場を疾走し、馬場元より馬場末までの罪穢を祓い清めます。

馬場祓役のお祓いの様子 見事、的中しました

当宮の馬場は距離が短く、的場間が近いところから、射手にとっては大変難しいとされています。

流鏑馬は伝統行事ですので、的を奉製し、馬場を整備し、馬具の確認などから準備が始まります。本年も50本の的を御奉賛下さりました氏子崇敬者の皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。以下、ご奉賛者ご芳名でございます。

(株)阿部コンクリート工業 殿 岩崎石材店 殿 (株)岩沼インテリアサービス 殿
(有)いわま亭 殿 (株)植耕 殿 (有)うなぎ割烹いとう 殿
遠藤 道夫 殿 司法書士大江章夫事務所 殿 大平 常元 殿
(株)OttO 殿 加賀 康一 殿 柏葉 祐志 殿
桂 重樹 殿 (有)菅武エンジニアリング 殿 菅野 武信 殿
木村 陽子 殿 (株)くじらもなか本舗 殿 (有)国見土木 殿
(有)ケイ・テック 殿 小林 友和 殿 (医)五葉萌芽会 殿
(株)斎テント 殿 (株)佐勘金物店 殿 (株)櫻井防災 殿
(有)佐忠電業 殿 佐藤 幸二 殿 佐藤 順一 殿
(株)澁一建設 殿 (株)シマムラ 殿 (有)センエイコーポレーション 殿
(株)草新舎 殿 竹内 正邦 殿 千田 文彦 殿
(株)東北永愛友商事 殿 東北グレーダー(株) 殿 (株)東北プリント 殿
富谷 正雄 殿 とんかつ石亭八幡支店 殿 (株)八幡不動産 殿
早坂 進 殿 板東 寛朗 殿 美術表装 般若堂 殿
福興電気(株) 殿 平和交通(株) 殿 (株)北栄工業所 殿
星山 己知郎 殿 (有)ホズミ 殿 (株)マルエス技研工業所 殿
みちのくコンサルタント(株) 殿 (株)モリキュウ 殿


9月1日から流鏑馬神事斎行当日の朝まで、一之鳥居付近に的が掲示されます

人類にとって、馬は古来より、現在の車社会になる以前、長距離を移動するための大切な馴染み深い動物でして、戦においても常に重要な役割でした。平和な世にあっても武家の嗜みを忘れず、神事として斎行されることには多くの意義があり、それが400年続いておりますので今後とも引き続き末永く後世に繋がれてほしい祭事でございます。

祭儀課 浅香

例大祭献饌式を斎行致しました

令和7年9月13日


祭典の結びに記念写真を撮影しました

令和7年9月13日午後3時より、年間の祭典行事の中でも特に重要な祭典のひとつである例大祭献饌式が斎行されました。本年の献饌式は生憎の天候ではございましたが、天から水の恵みを与えて頂いているようにも思われる祭典となったように存じます。

献饌式とは、「御膳上げ」と呼ばれ海川山野の種々な食物をお供えして日々の神恩に感謝し、皇室の安寧と我が国の繁栄・世界平和、また9月15日の例祭が恙なく斎行されます事を願う為の祭典でございます。

食物は自然の恵みであり、神様からの賜り物です。民族の命を繋ぐ食物を先ず神様にお供えし感謝の誠を捧げ、益々のご加護を祈りました。この事は私達の社会生活においても、お客様に様々な御馳走を出しておもてなしするのと同じ考え方であり、日本人の社会生活と密接に結びついております。

当宮の例大祭献饌式は夕刻に近い午後3時より斎行されますが、参列者共々、お祝いをうけられた八幡様にお食事(御膳)を召し上がって頂き、夕刻より始まる能神楽の演舞を御覧頂くという現代に通じる形を踏襲しているとされています。

献饌式では、3座の神様に10台ずつ計30台の神饌を供しました。10台の神饌は、米、酒、餅、海魚、川魚、赤飯、海菜、野菜、果物、菓子・塩・水で構成されており、その中で桐の葉に盛り付けられた赤飯をお供えする故実があります。赤飯は戦の際中の兵糧として用いられ、桐は「切り取って名を上げる」という意味があるそうです。

また、海魚・川魚・野菜・果物は、鰹や鮎、茄子、葡萄などの旬の物が取り揃えられお供えされました。そして氏子地域の皆様から初穂料として御奉賛頂きました氏子幣をお供えしました。

氏子幣は塗の雲脚台に載せて奉げられます 御神楽奉奏「浦安の舞」

祭典には、当宮の責任役員や総代を始め、神社関係者、職方、氏子崇敬者の68名の方々が参列下さいました。宮司の祝詞奏上後、本装束を身にまとった仕女による「浦安の舞」の奉奏、次に宮司、役員総代他参列者が玉串を神前に捧げ、今年も例大祭の諸行事が盛大に行われるよう祈念致しました。

当宮責任役員の玉串拝礼 志波彦神社鹽竈神社の大瀧宮司の玉串拝礼
直会での千田祭典委員長の挨拶 佐藤道昭県議会議員の発声で乾杯となりました

今後も八幡様への祈りを捧げつつ、氏子崇敬者の皆様に寄り添った神社を目指して参ります。

当宮にて実習を行った学生が神社界に進み、斯界の発展に寄与される事を願っております。

祭儀課 浅香

國學院大學指定神社実習Ⅱが当宮にて行われました

令和7年9月11日~17日


開講奉告祭で記念写真を撮影しました

去る令和7年9月11日から17日までの間、東京の渋谷にある國學院大學にて神職資格の取得を目指す学生の指定神社実習Ⅱが当宮で行われました。当宮では令和2年度より学生の受け入れ要請があり、本年は5名の学生が6泊7日の実習に参加しました。

実習初日、本殿にて開講奉告祭を斎行し、実習生1人ずつ玉串拝礼を行いました。開講奉告祭の後は、社務所大広間にて宮司講話となり、当宮の由緒のみならず、神職としての心構え等の貴重なお話を頂きました。

宮司講話の様子 資料を参照しつつ、熱心に耳を傾けていました

実習期間中は例大祭に向けて神幸祭の装束準備と片付け、各種神饌の調製、境内各所の清掃等、多岐に渡る内容のカリキュラムを行いました。これらの実習内容の多くは大学の座学では学ぶことの難しいものであり、実習だからこそ見聞きし得られる貴重な経験になったことと思われます。

また、9月13日午後3時に斎行された献饌式や同日午後6時30分に奉奏された能神楽奉奏、そして9月15日の例祭の祭典見学の機会、また14日の神幸祭では若神輿の奉舁の機械を設けました。祭典がどのようにして作られていくのかという流れを学ぶこと、参列者や参加者の目線で祭典を見学・体験することもいい経験になったのではないでしょうか。

氏子崇敬者と過ごす時間は貴重なものです 15日の例祭では唐櫃捧持の大役も担いました

そして最終日には最後のカリキュラムとして、閉講奉告祭を実習生のみで奉仕をしてもらいました。

昨年より始めた試みでしたが、限られた習礼の時間の中で、協力して作法や流れの確認を行っている姿が印象的でした。また、國學院大學神道文化学部学部長の黒﨑浩行教授と当宮宮司の参列がありました。上の人に作法を見ていただく機会は学生のうちにそうある事ではありません。従って、大変緊張したと学生たちは口々に漏らしておりましたが、自身の作法を見直す良いきっかけとなることを願います。

斎主 祝詞奏上 参列者 玉串拝礼
最後に記念写真を撮影しました

当宮にて実習を行った学生が神社界に進み、斯界の発展に寄与される事を願っております。

祭儀課 浅香

一万人のお宮奉仕の方々の清掃奉仕がありました

令和7年9月9日


記念写真の合言葉は「弥栄」でした

令和7年9月9日午前10時30分より午後3時30分まで、一万人のお宮奉仕の7名の来社がありました。

一万人のお宮奉仕とは、「和」の文化と精神を継承していくため発足された「和合友の会 和の道」の事業の一つで、全国の神社で清掃奉仕をされています。当宮においても一昨年に清掃奉仕に来社頂いた経緯があります。

この度も、一昨年の受け入れ時と同じく、当宮の御垣内の清掃をお願いすることにしました。大崎八幡大神様のすぐ近くである御垣内は、職員のみ立ち入ることのできる場所ではありますが、他社でも熱心に活動されている方々のご奉仕という事もあり、特別に御垣内での奉仕となりました。当日は雨上がりで土が柔らかく草むしりに適した環境という事あり、約90分の清掃奉仕で御垣内の草むしりを行って頂きました。

正式参拝の様子 草むしりの様子

清掃の前には、御社殿にて正式参拝を斎行しました。清掃終了後は昼食休憩を挟み、境内や御社殿の説明を当宮権禰宜より行い、内職作業をお手伝い頂きました。

一万人のお宮奉仕の方々の活動は、清掃奉仕を通して、神社や日本の文化を肌で感じることのできるものだと思います。このような活動によって、斯界に新たな風が吹き、私共職員におきましても、より良い神明奉仕に励んでいけたらと存じます。

祭儀課 浅香

境内社金刀比羅社例祭が斎行されました

令和7年9月8日


境内社の例祭は職員でご奉仕しております

令和7年9月8日午前10時より、境内社の金刀比羅社にて金刀比羅社例祭を斎行致しました。早朝から降り続く雨により、金刀比羅社の社殿前での斎行が危ぶまれる事態もございましたが、祭典斎行時間直前には青空となり、無事斎行となりました。

当宮の境内社である金刀比羅社は、讃岐国一之宮金刀比羅宮より分祀され、大物主神と崇徳天皇が御祭神として祀られています。讃岐国一之宮の金刀比羅宮は「こんぴらさん」と呼ばれ、江戸時代には「こんぴら参り」が一世を風靡しました。当時、庶民の旅行は禁じられていましたが、社寺への参拝の旅は許されていました。大流行したお伊勢参りと並び、こんぴらさんは「一生に一度はお参りしたい場所」として、庶民の憧れの旅行先だったそうです。

当宮の金刀比羅社は特別崇敬者の方から寄進を受けお祀りしております。その特別崇敬者の方の御誕生日を例祭日と定め、1年に1度、例祭を斎行しております。

昨年は、例大祭の神賑行事の一つである「どんとロード八幡雀踊り」と日程が被ってしまったこともあり、宮司参列の下、職員奉仕での例祭となりましたが、本年は当宮宮司・責任役員・総代・氏子崇敬者の方々の御参列を頂き、例祭を斎行する運びとなりました。

斎主 祝詞奏上 御神楽奉奏「浦安の舞」
当宮宮司 玉串拝礼 参列者 玉串拝礼

当宮には、国宝の御社殿以外にも様々な境内社がございます。ご参拝の折には、境内社にも参拝頂き、様々な御利益のある神様とのご縁を結ばれて行かれてはいかがでしょうか。

祭儀課 浅香

令和7年 例大祭 鳥居祭が斎行されました

令和7年9月1日


三之鳥居前の斎場の様子

令和7年9月1日午後4時より、三之鳥居前にて鳥居祭を斎行致しました。鳥居祭とは当宮における特殊神事でございます。9月13日・14日に最も重要な祭典「例大祭」を行うにあたり、外部からの罪穢れを防ぐために結界を張ることで、無事の斎行を祈念する祭典です。

特に鳥居祭斎場となる大石段上の三之鳥居は、最も御神前に近い鳥居として縄(結界)が張られ罪穢れを避ける斎戒期間に入ります。この縄は9月14日の神幸祭出幣式の際に裃姿の先達の抜刀によって切断された後、初めて参拝者の通行が許されます。

鳥居祭では通常とは異なる神饌が供えられます。神饌は神酒・鰹の生節・梅の酢漬・茄子の漬物の4種で、これらは伊達家の兵糧と言われており、例大祭までお供えするのが本儀とされているので日持ちの良い物がお供えされています。祭典終了後、社務所前の杉の木の根元と北参道鳥居にもお祓いをして、同じ神饌が奉られます。

酒・なまり節・茄子・梅の順にお供えをします この神饌は翌朝までお供えされます

この度の鳥居祭には当宮の責任役員・総代・世話人・八幡町商店街ファンコミュニティ・伝播八幡井組雀踊り保存会から18名の参列があり、玉串拝礼をして頂きました。

八幡町商店街ファンコミュニティの星会長の玉串拝礼 奉納演舞の様子

伝播八幡井組雀踊り保存会は、かつて八幡町の石工達が当宮の祭典に奉納していた演舞の形式を継承した由緒ある雀踊り団体で、鳥居祭の後に毎年奉納演舞をして頂いております。

祭典終了後の直会では、4種の神饌が参列者に振る舞われます。神人共食の文化の継承を強く感じられる瞬間でもあります。

最も重要な祭典である例大祭が滞りなく斎行できるよう努めて参ります。

祭儀課 浅香