煤祓式を執り行いました

平成30年12月13日

去る12月13日、煤祓式を執り行いました。正月を迎えるにあたっての御社殿の大掃除となります。

この行事は、今でこそ寺社仏閣の冬の風物詩となっていますが、古くより各家庭でごく普通に行われていた習わしでした。現在、年末の大掃除として定着しているのも、その名残と言えましょう。

お正月というのは、今でこそ初売りといった商売が目立つようになりましたが、本来たくさんの神様を自宅に招きもてなすという大変重要で、労力のいる行事でした。

そのため、正月の準備の始まりとして、まず煤祓式を行い、自宅を綺麗に掃き清めたのち、門松や注連縄などのお飾りし、神様をもてなす準備をしたのです。

当宮でも、この慣習にならい13日の煤祓式が過ぎてから境内の紙垂、注連縄を新しくするなど、正月への準備が進められることとなります。

神職、仕女(巫女)総出で社殿清掃にあたります
舞良戸(まいらど)の溝もしっかり掃除します

12月31日には、午後2時より「年越大祓式」という半年間の罪穢れを祓う行事が執り行われます。神棚、自宅を綺麗にして、年の最後の大祓式にて身を清め、まっさらな気持ちで新年をお迎えしては如何でしょうか。

祭儀課 石井

平成30年 新嘗祭を斎行致しました

平成30年11月23日

去る、11月23日(金)午前9時より新嘗祭を斎行致しました。

新嘗祭は、毎年この日に全国の神社で執り行われ、その年に収穫した新穀を神様に捧げ、五穀に感謝する宮中祭典の中で最も重要な祭典とされています。

今年も多くの穀物や野菜が当宮に奉納されました。

当日は気温が低く冷える中、役員総代をはじめ、穀物を御奉納頂いた方にご参列頂き、厳粛に執り行われました。

私達が当たり前のように口にしている穀物や野菜は神の恵みの賜物と「感謝」しながら頂くという意識を持ち、日々過ごしてみては如何でしょうか。

『食前感謝( 静座 せいざ 一拝一拍手)』
たなつもの  もも 木草 きぐさ も あまてらす 日の 大神 おおかみ の めぐみえてこそ 頂きます
『食後感謝( 端坐 たんざ 一拝一拍手)』
朝よひに 物くふごとに 豊受の神の恵みを 思へ世の人 御馳走さま
祓所にて修祓 御神前に献饌
宮司祝詞奏上
巫女による御神楽「浦安の舞」(左:扇舞 右:鈴舞)
玉串拝礼
ご参列頂いた方との記念撮影
今年も多くの穀物や野菜、お酒などを御奉納頂きました。
御奉納頂いた皆様に深く御礼申し上げます。
〈御奉納頂いた方々のご紹介(敬称略・順不同)〉
(株)阿部和工務店 阿部勘酒造店 合資会社内ヶ崎酒造店 株式会社佐浦
(株)岩崎石材工業 (有)大國物流 熊谷廣 宮城県農業高等学校 木匠
菅田 重利 今井 貴 太田 みよの 嶺岸 栄子
小野 ふみ子 宮城 康国 近藤 喜一 小野 紘一
大江田 正春 高橋 秀実 佐藤 幸二 谷津田 智之
谷津田 尊之 木村 知敬 佐藤 剛雄 佐山 晶子

月次祭並びに七五三 祈請 きせい 祭斎行

平成30年11月15日

去る平成30年11月15日午前10時、穏やかな秋晴れの中、月次祭並びに七五三祈請祭を斎行致しました。

当日は七五三が3家族と月参りが2名、そして仙台市立第一中学校の職場体験生徒4名の参列がありました。普段の生活とは違う空間にいることで七五三の子どもはもとより、お父様お母様もどこか緊張した面持ちでした。11月12日より職場体験をしている生徒達は正座に不慣れではありましたが、足を崩さず姿勢正しく神事に臨んでいました。

祭典後は社殿前にて記念撮影を行い、神職より千歳飴を受け取った子供たちは大喜びでお父様お母様にご報告していました。

なお、当日は(株)宮城テレビ放送が取材に訪れており、祭典の様子や七五三に来た参拝者らのインタビューがその日の夕方午後6時15分からの「ミヤギnews every.」にて放送されていました。

「祝詞奏上につき頭を下げる参列者の皆様」 「白衣・袴を身に着けた職場体験中の中学生」
「御神楽『萬代の舞』」 「両親に助けてもらいながら玉串拝礼」
「祭典後、境内にて記念撮影」
「職場体験中の中学生らと記念撮影」
【七五三詣について】

七五三詣の由来は諸説ありますが、古来より男女とも三歳を迎えると、それまで剃っていた頭髪をたくわえはじめる「 髪置 かみおき 」という儀式に始まり、五歳の男子は初めて袴を着用する「 袴着 はかまぎ 」、七歳の女子は着物の付紐を取りはずし帯に変える「 帯解 おびとき 」など生存が危うい児童が健やかに成長するよう 祈請 きせい (神仏に祈り加護を願うこと)が行われてきました。

また、祝い日とされている「11月15日」は江戸時代に五代将軍徳川綱吉の長男「徳松」の祝儀をこの日に行ったことに由来するとされています。

そのほか古来より「七歳までは神のうち」という言葉があるように、七歳になるまでが心身の成長に重要な時期とされており、氏神様(居住地域の神社)へお宮参り(初宮詣)を行うことで、氏子(地域の人々)に周知され、七歳になると正式に氏子の一員に承認される流れがありました。これは現代よりも平均寿命や医療技術などが低かったため、成長の節目に家族総出でお祝いする日本古来の習慣だと拝察します。

今も昔も子供の成長がなによりもめでたい点は変わりません。なにかと忙しない世の中ではございますが、子供との時間をより一層大切にしてみてはいかがでしょうか。

奉賛課 石垣仁孝

明治祭を執り行いました

平成30年11月3日

去る11月3日に、明治祭を執り行いました。明治祭とは、明治天皇のお誕生日を奉祝する祭典です。

皆様は、11月3日が、なぜ「文化の日」なのか、御存じでしょうか?

明治天皇は嘉永5年(1852年)江戸時代、11月3日に御誕生されました。明治時代には、明治天皇のお誕生日は天長節として、奉祝されています。

大正時代になり、天長節は大正天皇のお誕生日(7月30日)となりましたが、昭和2年(1927年)「明治節制定の詔書」により、明治節(11月3日)が制定されました。

明治天皇の御功績に「近代日本の礎を築いた」事がありますが、その一つに「誕生日」の普及があります。

御存じの通り日本は古来より、年齢は「お正月に全員が年を取る」という数え方でした。そのような日本の伝統的考え方があるなかで、明治天皇は近代促進の一環で満年齢を一人一人の「誕生日」と認識し普及・周知に務めたのです。

そう考えると、私たち現代人の当たり前だと思っている事が、実は近代に導入された新しい文化であるという事がわかりますし、「明治節」が「文化の日」と名称を変えながら祝日に制定された起源を知ることができます。

大崎八幡宮ではこの日、明治祭を斎行し、明治天皇の御功績の奉祝、国家の安寧を祈り、最後に遥拝所にて明治天皇の御陵を遥かに おろが 、お参り致しました。

皆様もぜひ、遥拝所にて、遠く崇敬する神社・離れて暮らす家族、友人、等に思いを馳せ、お祈りしては如何でしょうか?

宮司祝詞奏上に際し、明治天皇の御功績を寿ぎます
国家安寧を祈り、浦安の舞を奉奏しました 玉串拝礼に際し、宮司以下祭員、拝礼ご致しました
遥拝所では、神社・ご家族・ご友人等に 心を添えてお参りください

禰宜 小野目

神嘗奉祝祭を執り行いました

平成30年10月17日

去る10月17日、神嘗奉祝祭を執り行いました。

大崎八幡宮で執り行われる神嘗奉祝祭とは、伊勢神宮の重要な祭典である「神嘗祭」が執り行われたことをお祝いするお祭りです。

当日は、当宮の責任役員・総代も参列され、この最も尊い祭典が無事に執り行われた事を八幡様に感謝の祈りを捧げました。

伊勢神宮の神嘗祭とは、6月・12月の月次祭と共に「三節祭」と呼ばれ、神宮の最も由緒深い祭典です。10月15日の夜、浄闇の中、午後10時と午前2時の二度にわたって由貴大御饌の儀が行われ、天皇陛下御自身で育てられた新穀( 懸税 かけちから )と、神宮神田で清浄に栽培された新穀の御飯・御餅・神酒を始め、海の幸、山の幸をお供えし、明くる10月16日正午には、勅使をお迎えして奉幣の儀を奉仕します。お祭りでは秋の実りに感謝申し上げ、皇室の弥栄、五穀の豊穣、国家の隆昌、並びに国民の平安を祈願します。

又、宮中では大祭に位置付けられ、当日は勅使(天皇陛下のお使い)の参列もあり、20年に一度の神宮式年遷宮を「大神嘗祭」と呼ばれる程の重儀でもあります。

天皇陛下が自らお育てになられる稲穂は、神代より伝わる 斎庭 ゆにわ の稲穂の神勅によるものです。即ち、『日本書紀』の天孫降臨の段で天照大神が孫の瓊瓊杵尊らに下した以下の3つの神勅(三大神勅)のことを指します。

天壌無窮の神勅 -
葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。
宝鏡奉斎の神勅 -
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。
斎庭 ゆにわ の稲穂の神勅 -
吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。
崇敬者の菅田殿から稲穂「 懸税 かけちから 」が奉献され、古式に則り玉垣(高欄)にお供え致しました。
祭典斎行に先立ち、修祓の儀を行います 中祭式での祭典奉仕です
御神楽「浦安の舞」の奉奏です
役員・総代、8名にご参列いただきました
境内遥拝所にて、遥か伊勢神宮を おろが み奉ります

総務課 小野目

「仙台89ERS必勝祈願」

平成30年9月20日

去る、9月20日89ERS必勝祈願が執り行われました。

当日は、代表取締役会長デービット・ホルトンさん、監督桶谷大さんを始め、スタッフ、選手を含め総勢32名でお参りされました。

表参道大石段より御社殿に到着後、控所にて必勝祈願大絵馬にサインしたのち、御社殿で祈願を受けられました。

大絵馬にはB1昇格や日々精進といった今季の目標を書いておりました。

また、89ERSの皆様より頂いたサインは御社殿向かいの左手にある西回廊にて奉納されておりますので、ご参拝の際に是非ご覧下さい。

真剣な面持ちで御社殿へ進む選手たち お祓いをしている様子です
選手たちが大絵馬に目標を書きました

また、昨年までキャプテンを務めた志村さんは仙台89ERSのゼネラルマネージャーに就任されました。

ホーム初戦は10月5日ゼビオアリーナで試合が行われます。

大崎八幡宮の職員共々は皆様を応援しています。

祭儀課 三浦

9月16日 神幸祭

平成30年9月16日

去る、9月16日(日)午前10時より神幸祭が執り行われました。

毎年盛り上がりを見せる神輿渡御ですが、昨年は台風の影響で雨の中の渡御となり止むを得ず巡幸路を短縮しました。しかし、今年はお天気に恵まれ無事に氏子地域 各町内を巡幸することができました。

「出御祭」八幡様の御分霊を大神輿に遷します。
本殿の御扉を開け、御分霊を遷すまで長床を閉鎖し、御社殿の中が誰にも見えないようにしています
出御祭が終わると長床前で控えていた人々が社殿前に集まり、一気ににぎやかに 御分霊を遷した大神輿

八幡様の大神輿は御分霊を遷すと重さが約1tになるといわれ今年は約145名の男性が交代で担ぎ歩きました。

大神輿の他に女神輿、子供神輿も渡御しました。

大石段を下っている大神輿 御社殿と同じ黒漆が輝いて見えます
女神輿は華やかに、子供神輿は元気いっぱいに担いでいました
御旅所祭
(八幡小学校、国見小学校でそれぞれ行いました)
八幡小学校、国見小学校、大平メンタルクリニックで 休憩をしました

住宅街では御先太鼓の大きな太鼓の音につられ、氏子の皆様が外に出て大神輿を待っている姿が見えました。

笑顔で大神輿を迎えてくれる方が多く居り、とても賑やかな巡行となりました。

最後!大石段を一気に駆け上がります!
力強いその姿に上り切ったあと、拍手が起こりました
氏子地域 各町内を巡行し無事に八幡宮へ帰ってくることができました。
帰ってきたら大神輿に遷した御分霊を内陣に還す「還御祭」を執り行いました
一般的に大神輿の最上部分は鳳凰ですが八幡様は鳩です 扁額の「八」の字も鳩が向き合っています

本年度も皆様のおかげで無事に例祭を終えることができました。

例祭2日間、たくさんの方が足を運んでくださり境内が大変にぎにぎしい様子となりました。

10月、11月は七五三のお詣りが増えます。

色とりどりの着物、袴を着た子どもたちがたくさんお参りに来るので境内が華やかに、そして賑やかになります。

七五三のお祝いの子どもを見かけましたら皆様「おめでとう」と一言、声をかけてあげてください。

祭儀課 間々田

「平成30年例祭 流鏑馬神事を斎行致しました」

平成30年9月16日

流鏑馬 やぶさめ とは、馬を馳せながら矢を射るところから「 矢馳せ馬 やばせうま 」と呼ばれ、時代が下るにつれて「やぶさめ」と言われるようになったとされます。

その起源は古代、中世にあり、弓馬礼法は寛平8年(896年)に 宇陀 うだ 天皇が みなもとの 能有 よしあり に命じて制定され、実践的弓術の一つとして平安時代から存在していました。『吾妻鏡』には源頼朝が西行に流鏑馬の教えを受け復活させたと記されており、武士の嗜みとしてまた恒例行事として、盛んになることもあれば、何度か廃れた行事でもありました。。

当宮の流鏑馬は遠田郡八幡村に鎮座していたころより9月15日の例祭に執り行われていたと記録されており、創建と同時に、伊達政宗公により再び復活されましたこの例祭祭礼における当宮の流鏑馬奉納神事は、これを奉納する射手は近年まで岩出山出身の者に限られていたそうです。

また古くから流鏑馬行事の後には、その的の奪い合いがあったとも伝えられ、そのさまは、仙台市博物館に展示されている『大崎八幡宮来由記』所載の「御神事之流鏑馬」の図に細やかに描かれております。

神事は、先ず安全祈願を本殿にて斎行し、出陣式を執り行って、その後馬場末において神職が馬を大麻と塩で祓い清め、次に4騎の馬に射手達が乗り、先ず馬場祓役が祓串を片手に「オーッ」という掛け声とともに馬場を疾走し、馬場元より馬場末までの罪穢を祓い清めます。

流鏑馬神事 安全祈願祭のお祓い 同 神酒拝戴
馬のお祓い
その後、3人の射手が各々3度ずつ、馬場に設置された3か所の的めがけて矢を放ちます
流鏑馬神事 いよいよ開始します (午後4時) 当宮の馬場は距離が短く、的場間が近いところから、射手にとっては大変難しいとされています。
3か所の的場のそれぞれの的群を合わせて計52の的が設置されました
3人の射手が3か所の的場でそれぞれ射ち、それを3回走り込み、計27本の矢が放たれ、今年はそのうち「16本」的中いたしました

流鏑馬は伝統行事ですので、的を奉製し、馬場を整備し、馬具の確認などから準備が始まります。

人類にとって、馬は古来より、現在の車社会になる以前、長距離を移動するための大切な馴染み深い動物でして、戦においても常に重要な役割でした。

平和な世にあっても武家の嗜みを忘れず、神事として伝統行事が守られることには多くの意義があり、それが400年続いておりますので今後とも引き続き末永く後世に繋がれてほしい祭事です。

例大祭、16日当日境内は、前日の献饌式の神事に対する神振行事として、神輿渡御に雀踊りに屋台も並び夜は演芸大会もあり、お陰様で天候にも恵まれました。終日、賑わいで境内は祭典の活気に溢れ、9月1日から始まりました例大祭は、最終日に興たけなわとなり、流鏑馬行事もその一環として祭礼に花を添えた、厳粛な、かつ勇壮な伝統神事でございました。

献饌式を執り行いました

平成30年9月15日

去る9月15日午後3時より、献饌式を斎行致しました。

この祭典は、当宮の重要な祭典のひとつとされ、「 ぜん げ」と呼ばれております。

日本人は、太古の昔より自然とともに共生して参りましたので、食物は自然が私たちに授けた宝と考え、先ず神様にお供えし感謝の誠を捧げ、弥益々のご加護を祈ったのです。そのため、この「御膳上げ」では、海川山野の種々な食物をお供えして日々の神恩に感謝し、宮司が皇室のご安寧と我が国の繁栄・世界平和を宮司が祝詞にて奏上致します。

また献饌式では、献幣使が八幡様の御神徳を称え、国の弥栄を祈念し、 へいはく を献じた事をご奉告され、本装束を着装した巫女が「浦安の舞」を奉奏致しました。

さらに、仙台藩伊達家第18代御当主伊達𣳾宗様、役員総代を始め、県内外神社関係の方々からもご参列いただき盛大に斎行されました。

参進 前導を先頭に宮司以下祭員、献幣使、玉串拝礼者が続きます 御扉開扉 大祭では、ご本殿の御扉が宮司により開かれます
献饌 中御前(御社殿中央)にお供えする10台の神饌を神職4名によって運ばれます。
裳を着けた(本装束)舞人による「浦安の舞」

本年は105名のご参列を頂きました。

皆様におかれましては、大神様の御恵みを頂戴されまして、今後の御多幸と御隆昌をご祈念申し上げます。

祭儀課 村上

鈴の緒奉納式を斎行致しました

平成30年9月5日

去る9月5日、鈴の緒の奉製と奉納式を斎行致しました。

「鈴の緒」とは、古くより人々の願いをかなえることから「かなお」とも呼ばれ、多くのご参拝の方々の思いを受け止める大事な役目から、毎年例大祭前に赤、青、黄色の三色を使って新たに奉製されています。

当日は10時頃から、氏子崇敬者16名により台風後の蒸し暑い中奉製が始まりました。今年度は215本の奉納があり、昨年より多く御奉納頂きましたが、手間取ることなく手際よく進められ、40分ほどで3本の鈴の緒が完成しました。11時より御社殿にて鈴の緒奉納式が執り行われ、無事に当宮へと奉納されました。

現在は御社殿前の外拝殿にてこの度奉製された鈴の緒が納められています。

鈴の緒奉製の様子
布を重ね一本にしていきます
綯い終わりを麻紐で結びます 完成した鈴の緒
奉製終了後、集合写真(大広間にて)
御社殿にて奉納式を斎行
奉納された鈴の緒

鈴の緒の奉納は、毎年9月頃まで受け付けておりますので、どうぞ皆さま参加されてはいかがでしょうか。

祭儀課 荒澤

兼務社春日神社例祭を斎行致しました

平成30年9月8日

去る、9月8日11時より当宮宮司が兼務する青葉区八幡二丁目鎮座春日神社にて例祭を斎行致しました。

春日神社には2柱の御祭神が祀られています。

お名前はそれぞれ天児屋命(あめのこやねのみこと)と、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と言います。

天児屋命は、古事記では天照大御神(あまてらすおおみかみ:伊勢の神宮に祀られている神様)が天岩戸にこもられた際に祝詞を奏上した神様です。

この神様は後に、平安時代に栄華を極めた藤原氏の祖神(おやがみ)であることから現在では子孫繁栄や立身出世のご利益がある神様と言われています。

倉稲魂命は、日本書紀では伊邪那岐神が生んだ子として記述があり穀物を司る神様として崇敬を集めています。

この日は午後から地域の子供たちが御神輿を担ぎ、年に一度の春日神社例祭奉仕に勤しんでいました。

社殿前の様子 祝詞奏上
浦安の舞 参列者玉串拝礼
宮司一拝
参列した方々と記念撮影

毎月9日には月次祭を執り行っております。お近くの方は参列いただけますので是非お参りください。

祭儀課 三浦

鳥居祭を斎行致しました

平成30年9月1日

去る9月1日、鳥居祭が執り行われました。

鳥居祭とは、当宮独自の特殊神事です。例大祭という、一年間で最も重要な祭典を行うに当たり、外部からの罪穢れを防ぐため結界を張ります。そして今月15、16日に行われる例大祭が無事執り行われることを祈念する祭典です。当日は早朝から準備がはじまり、境内各所の注連縄を新しく張り替える作業を進めていきました。

神事の中で、「お供えの儀」というものがあります。例大祭まで清浄をお守り頂く神様に、鳥居の袴石に「御神酒・鰹の生節・梅の酢漬・茄子の漬物」といった神饌をお供えします。これらは、伊達家の兵糧と言われており、例大祭までお供えするのが本儀とされているので、日持ちの良いものがお供えされます。神事の最後には、注連縄・紙垂を新しく張り替えた当宮の杉の木、北参道の鳥居でも「お供えの儀」を行いました。

雨の中の祭典でしたが、雀踊り奉納演舞では、太鼓や笛の音が奏でられ、威勢の良い掛け声が境内に響き渡りました。

注連縄を交換している様子 参列者の修祓
切麻撒米 お供えの儀
神饌 玉串拝礼
雀踊り奉納

祭儀課 村上

御社殿の大掃除を行いました

平成30年8月31日

去る8月31日、御社殿の大掃除を行いました。今年は、9月15日、16日に行われます例祭に向けての大掃除です。普段の掃除では行わない場所の掃除になります。奉納品や灯篭など一度すべて移動させての大掛かりな掃除です。

御幣や五色の御旗などを大床から移動します
主に神職は大床部分を、仕女は拝殿部分を掃除します
畳も丁寧に水拭きをします
内陣(御神体のある部屋)は、宮司が行います
拝殿の外も普段の掃除より、念入りに行います

9月15日は献饌式、16日は神幸祭(今年は当宮から国見方面に神輿渡御)、流鏑馬神事が行われ、にぎにぎしい例大祭となります。年に一度の例祭は、大神様の御神威が最も昂る御縁日でもあります。皆様のご参拝をお待ちしています。

祭儀課 荒澤

一之幟が奉納されました

平成30年8月30日

去る8月30日、旧国道48号線、一之鳥居に面する幟を奉製するにあたり、役員・総代・世話人・地区崇敬者の皆様のご寄進により、一之幟のご奉納を賜り、奉納奉告祭が執り行われました。

大崎八幡宮では、お正月と9月の例大祭を迎えるにあたり、境内に幟を立て奉ります。

例大祭に間に合うよう準備された幟は、神職により祓い清められ、祝詞にて奉告を奏上され、代表者から宮司へと授けられました。

奉告祭終了後、境内に掲げられた10m以上の幟、は風にはためきながら例大祭の期間を見守ります。

皆様もご参拝の折は是非、新しい幟をご覧ください。

幟奉納者

川上 良雄 殿 早坂 進 殿 佐藤 信一 殿 八月朔日 幹夫 殿
庄司 剛 殿 髙山 政敏 殿 庄司 健二 殿 赤沼 正信 殿
石川 要治 殿 菅野 新一 殿 佐藤 俊二 殿 菅野 司 殿
修祓により、幟・参列者を祓い清めます
祝詞奏上と玉串拝礼
代表者から、宮司へ幟が贈られました
誉れ高く境内に掲げられた幟をぜひご覧ください

総務課 小野目

兵庫県神社庁神戸市支部の正式参拝がございました

平成30年8月29日

去る8月29日、兵庫県神社庁神戸市支部の皆様の正式参拝がございました。

皆様は、阪神淡路大震災を被災され、その時のご恩返しとして、東日本大震災発生直後から支援活動を行っていました。

その一つに、宮城県牡鹿郡女川町に鎮座する白山神社の造営の支援活動がありました。

当宮においても、白山神社は支援活動を行っており、そのご縁を深く感じるご参拝となりました。

祝詞奏上、玉串拝礼
祝詞奏上、玉串拝礼
御垣内の説明と皆様と写真撮影
宮城県牡鹿郡女川町鎮座の白山神社

総務課 小野目

栃木県 国分寺神社氏子総代会の皆様の正式参拝を執り行いました

平成30年8月26日

去る8月26日、栃木県下野市国分寺神社氏子総代会の皆様の正式参拝がございました。

代表である鷲宮神社 宮司 宇賀神義宣様は東北大学大学院工学科卒業、水産省漁港漁場整備にお勤めになられ、東日本大震災においては復興支援活動を精力的に行っていました。

今回は、氏子総代の皆様と被災沿岸部の視察また文化財である当宮の正式参拝を行い、宇賀神様の学びの地、仙台を往訪されました。

宮司による当宮の説明を熱心に拝聴されていました
御垣内の中から社殿建築について説明いたしました

総務課 小野目

月次祭を斎行致しました

平成30年8月15日

去る8月15日月次祭を斎行致しました。

此の度の祭典では14日から当宮に研修に来ている國學院大學北海道短期大学部よりインターンシップ生2名が参列しました。2名より研修への意気込みを頂きましたのでご紹介します。

御神楽「萬代の舞」 末社巡拝
インターンシップ生の西川さんと狩野さん
玉串拝礼を行いました

これからの研修で、普段は学べないことや体験できないことを経験していきたいと思っています。そして仙台の文化や歴史なども同時に知っていけたら良いと思います。

西川 日和子

他の場ではできないような体験をすることが楽しみです。こちらで多くのことを学び、今後に活かせるように8日間頑張りたいと思います。インターンシッププログラムの中に雅楽があったので、普段触ることができない雅楽器の音を生で聞きたいです。

狩野 瑞季

祭儀課 井上

メジロを保護しました

平成30年8月29日

去る8月29日、参拝者の方よりご一報いただき、メジロを保護しました。

この日は、気温が下がり雨も降っており、体は雨に濡れており、震えていました。

虫かごに入れ、裂いたティッシュと温風機にて体を温めたところ、1時間程して鳴き始めて外へ飛び立っていくことが出来ました。

当宮は、鎮守の森があり、其の森には多種多様な生き物が住んでいます。落ちたヒナがいたのも今回が初めてではありません。

参拝者の皆さまは、落ちたヒナやけがをしている鳥を見つけたら、すぐに保護をせずに職員にお伝えください。なぜなら、近くに巣があり親鳥が探したり、という場合がある為です。

今回のメジロの場合は、県の自然保護課に連絡を取り対応をお聞きし、無事に元気になりました。やはり、自然の鳥は、自然に返さなければいけません。

また、神道というものは自然と常に共存するという古くからの精神性もあります。生き物と共存していくためにも、その時の対応によって生き物の一生を左右してしまう事もあります。見つけた際には、触らず職員にお伝え頂ければ幸いです。

祭儀課 石井

「雅楽の夕に、」を執り行いました

平成30年8月13日

去る8月13日、「雅楽の夕に、」を執り行いました。

此れは、御鎮座記念祭の翌日に行われる催しであり、東日本大震災復興を祈念するために行われ、今年で第8回となります。

当日は、「青葉の舞」「浦安の舞」、笙演奏者の宮田まゆみ氏・龍笛演奏者の祐靖芝氏の独走、雅楽のワークショップなど参拝者の方も一緒に楽しめるプログラムがあり、多くの方にご参加頂きました。 他に、雅楽を嗜んでおられる一般の方も一緒に演奏するという場面もあり、大人数での迫力ある雅楽の演奏となりました。

さらに、当宮宮司が行った東日本大震災復興への支援活動も、パネルの紹介を交えお話を致しました。

青葉の舞 「御鎮座記念祭」と異なり参拝者の方を向いての舞です。また、明るいので衣装の細部もご覧いただきました。
浦安の舞 「青葉の舞」同様、参拝者の方を向いた舞となっています。
本装束という長い裳を付け、太平の世を祈る昭和天皇御製の和歌の舞となっています。
天地の神にぞ祈る 朝なぎの海のごとく 波たたぬ世を  昭和天皇御製
当宮の宮司(画像中央)による東日本大震災への復興の講話です。 宮田まゆみ氏(画像右)との対談にて話が進みました。

祭儀課 石井

御鎮座記念祭・雅楽の夕べを斎行しました

平成30年8月12日

去る8月12日に御鎮座祈念祭・雅楽の夕べを斎行致しました。

午後6時30分より祭典が始まり、境内の明かりは全て落とされ浄闇となります。御神前には鈴虫を置き、其の音色を大神様へと奉納しています。

参進
祝詞奏上

涼やかな鈴虫の音色とともに、だんだんと暗闇が近づきます。祭典終了後、薪に火がくべられ、古の様相を写しだします。

また、伶楽舎という雅楽の団体が、長床より社殿に向かって、雅楽の音色を響かせました。

長床にて伶楽舎の演奏

御鎮座記念祭にて奉納された舞は、「青葉の舞」「人長舞」「萬代の舞」があります。

最初に「青葉の舞」が2人奉仕にて舞われました。雅楽に合わせて、伊達政宗公の詠んだ詩が歌われます。

入りそめて 国ゆたかなる みきりとや 千代とかきらし せんたいのまつ

私(伊達政宗公)が仙台に入り、国を豊かにする先駆けとして、その繁栄は千代と続くようにという意味の歌になります。

青葉の舞

次に「人長の舞」を奉納します。これは、平安時代の正装である束帯という装束で舞われます。手には、榊を持ちます。榊には、神道にとって大切な意味を持つ鏡を表す白い輪が取り付けられ、場を清めながらの舞となります。

此の舞は、とても古く長保4年(1002)年、宮中にて舞われたことからとされています。

詩は、
その駒ぞや 我に 我に草乞う 草は取り飼はむ 水は取り 草は取り飼はむ

その馬(神の乗り物)が  私に草を求めている  草を取って与えよう 水を与え、草を取って与えよう

という意味の詩になります。この詩には、実は「葦ぶちのや 森の 森の下なる若駒率て来 葦ぶちの 虎毛の駒」というものが前についていました。つまり、

「葦ぶちの馬よ  森の木の下にいる若い馬つれておいで  その馬が私に 草を求めている  草を取って与えよう 水を与え、草を取って与えよう」
という流れの詩になります。

人長の舞

最後に、「萬代の舞」が舞われます。これは当宮を詠まれた詩に因んだ舞となります。

宮城野の 五百枝の神杉  萬代に 御蔭たれます 大崎の宮

宮城野(仙台)にある  五百とも数えきれない枝を持つ神宿る杉  とこしえに その御神威をお受けする  大崎の宮(大崎八幡宮)

という意味の大神様の御恵を詠った詩となります。

この舞は、通常2人の舞人が、毎月1日、15日に斎行される月首祭(1日)、月次祭(15日)など様々な祭典で舞を奉納しています。しかし、此の度の祭典では、大神様の御神威を称え、4人の舞人が舞いました。

また、当宮では4月に入社した新人の仕女が一番最初に覚える舞であり、この祭典でも4月に入った仕女3名が御奉仕しております。

萬代の舞

御鎮座記念祭は、どなた様でもご参列頂くことができ、当日は、多くの方々が参列し、大神様と共に舞と雅楽の調べを楽しまれていきました。

次の祭典は、9月1日午前10時より月首祭が斎行されます。月首祭は、毎月1日、15日(月次祭)に斎行され、どなたさまもご参列頂けますので、どうぞお参りをお待ちしております。

祭儀課 石井

「第17回日本スカウトジャンボリー視察」

平成30年8月5日

去る平成30年8月5日から9日までの期間、石川県珠洲市りふれっしゅ村鉢ケ崎にて第17回日本スカウトジャンボリー【※1】が開催され、ボーイスカウト仙台27団(以下BS27団)のカブ隊・ビーバー隊、総勢12名で視察致しました。【※2】

BS27団はジャンボリー開会式前日の8月4日早朝に仙台駅を出発し、大宮駅で北陸新幹線へ乗り継ぎ、正午には金沢駅に到着しました。昼食後レンタカーにて尾山神社に正式参拝し、由緒の説明や神門(国指定重要文化財)を紹介していただきました。その後、「千里浜なぎさドライブウェイ」、「和倉昭和博物館」を見学し、七尾市内で宿泊。

翌5日には「奥のとトロッコ鉄道」や「見附島(軍艦島)」を経由してジャンボリー会場へ向かいました。 入場後、ボーイスカウト宮城県連盟並びにボーイスカウト北海道連盟に挨拶し、会場の様子や活動の情報交換を行いました。

その後出展ブースやキャンプ地等を視察して周っていましたが、午後2時の時点で気温37度を記録。会場内アナウンスで活動の自粛を促していた為、本来であれば開会式に出席する予定でしたが、子供たちの体調を考慮して予定より早く視察を終了してBS27団は仙台への帰路に就きました。

「尾山神社境内神門前にて記念撮影」
「ボーイスカウト宮城県連盟テント前にて集合写真」
「ボーイスカウト北海道連盟テント前にて記念撮影」

平成30年8月6日「神道・神社本庁信仰奨励活動参加」

BS27団視察の翌日は当宮職員数名が現地に残り、信仰奨励会場にて活動中の「神道・神社本庁」に参加しました。

このエリアでは多数の宗教団体がそれぞれの宗教・信仰を紹介していました。また、会場の入り口には当宮の出入業者の協力により制作した空気で膨らますバルーン鳥居が設置されており、遠目から見てもかなり目立っておりました。

「神道・神社本庁」テントでは屋根に黒い布と細長いパイプで社殿を再現。入り口には太いパイプを繋ぎ合わせて作成した鳥居を設置する等、限られた資材で神社をいかに表現するか工夫が凝らされておりました。また、テント内には祭壇が設置されており、地元神職の指導の下、参拝作法や玉串拝礼作法が学べるほか、神社・神道に関する質問に答えていました。

そのほか専用の石を削って勾玉を作る体験コーナーが用意されており、大人から子供や海外から視察に訪れていた方々も一生懸命勾玉作りに黙々と取り組んでいました。

「信仰奨励会場の様子」 「会場入り口のバルーン鳥居」
「本格的に用意された祭壇」 「パイプで作成した鳥居」

平成30年8月7日「神道儀礼参列」

信仰奨励活動の翌日は神社のお祭りを紹介する「神道儀礼」活動に参加しました。

早朝よりジャンボリー会場内野球場に斎場の設置や信仰奨励会場からバルーン鳥居を移動するなど、慌ただしく準備が進められていました。大きな問題も無く、予定通り午前10時より祭典が執り行われました。会場内は当初予想していた参加人数を大幅に上回る約1200人のボーイスカウト関係者で埋まりました。昨日に引き続き蒸し暑い天気ではありましたが、参加された方々は真剣な眼差しで祭典を見学していました。

また、今回のジャンボリー来場者数は珠洲市の人口約1万3000人より多い、国内外合わせて約1万4000人でした。

今回の活動を通して神社本庁の職員をはじめ石川県神社関係者、ボーイスカウト関係者の皆様には大変お世話になりました。4年後のジャンボリーでもどうぞ宜しくお願い致します。

「神道儀礼会場に指定された野球場」 「信仰奨励会場から移動した鳥居」
「神道儀礼斎場テント」 「神道儀礼参列者」
「神道儀礼の様子」

「予想を超える大勢の参加者たち」

【 ※1】日本スカウトジャンボリーとは

ボーイスカウト日本連盟主催で、昭和31年(1956年)に初めて開催され、現在では4年に一度行われる国内スカウト活動最大の行事です。


【※2】神社とボーイスカウトの関係

ボーイスカウトには活動の支柱となる〈3つのちかい〉「1、神(仏)と国とに誠を尽くしておきてを守ります。1、いつも、他の人々をたすけます。1、からだを強くし、心をすこやかに、徳をやしないます。」と〈8つのおきて〉「1、スカウトは誠実である。2、スカウトは友情にあつい。3、スカウトは礼儀正しい。4、スカウトは親切である。5、スカウトは快活である。6、スカウトは質素である。7、スカウトは勇敢である。8、スカウトは感謝の心をもつ。」があります。これは神社が日々行っている教化活動(神社神道の正しい知識と伝統的な信仰を伝える活動)と共通点が多く、大崎八幡宮ではBS27団の育成会を担うことで活動の支援を行い、BS27団は主に例祭チャリティー豚汁やお正月の餅つき行事など、神社で行われる行事に合わせて活動しています。

奉賛課 石垣仁孝

太元社例祭を斎行しました

平成30年8月1日

去る8月1日、太元社例祭を斎行致しました。

この祭典では、1年に1度の厨子の御扉が開き、近くでお参りが出来る日となっています。これは、現御社殿が昭和五十六年に氏子崇敬者の寄進により再建され、竣工式が8月1日に斎行されたことから、行われている祭典になります。

当宮の通常の祭典では、「萬代の舞」を舞う事が多いですが、太元社例祭では、「浦安の舞」という昭和天皇御製の和歌を舞う事になっています。

また、太元社例祭に参列した証として、新たに太元社幣束を撤下品としました。

太元社の来由として、木造の太元帥明王が祀られており、邪気を懲らしめ福を招く神として崇拝されています。

創建時期は不明でありますが、元禄十一年(一六九八)の古図には拝殿西側に記載されていることから、それ以前との創建と推定され、厨子の御扉には享保四年(一七一九)、仙台藩五代藩主伊達吉村公が武運長久と子孫繁栄を祈念し勧請した事が記されています。

明治初期の神仏分離により拝殿前より現在の位置に遷御され、現社殿は昭和五十六年に氏子崇敬者の寄進により再建されたものです。

尚、平成九年三月には、この立像が仙台市の有形文化財に指定されています。

宮司祝詞奏上
御神楽「浦安の舞」
玉串拝礼 例年に比べ多くの方にご参列いただきました

また、毎月1日と15日には、太元社の扉が開き、伊達家の家紋(竹にすずめ)が付いた厨子がご覧いただき、お参りできる様になっています。そういったご縁のもと、毎月1日と15日には、太元社の御朱印も参拝の証として授与することになりました。

お参りされた方は、祭儀棟(社殿右側)受付までお声掛け下さい。

祭儀課 石井

愛宕神社例祭を斎行致しました

平成30年7月28日

去る7月28日当宮小野目宮司が兼務する愛宕神社の例祭を斎行致しました。

当日は朝から天気が優れず、厚い雲で空は覆われていましたが、祭典中は雨が降ることなく斎行されました。

宮司による祝詞奏上、巫女による「浦安の舞」奉奏、役員総代、保護者・子供会代表が玉串拝礼をし、一年に一度の例祭をお祝いしました。

祭典終了後雨が降り始めましたが、町内会の子ども達による町内神輿渡御が行われ、大きな掛け声は町内に響き渡り大変にぎやかなお祭りとなりました。

今回初めて社殿以外の場所で舞を奉奏させていただきました。普段舞っている畳とは違い、草履をはいて外で舞うことはとても難しいと感じました。今回の貴重な経験を活かし今後の舞につなげていきたいと思います。

祭典の様子 御神楽「浦安の舞」
宮司さんのお話を真剣に聞いています
十二軒丁子供会による町内の神輿渡御です

祭儀課 井上美保

控所の展示物を新しくしました

平成30年7月26日

去る7月26日控所の展示物の入れ替えを致しました。今までの牧互秀の鳳凰の屏風から同作者の御社殿模写絵と大崎八幡宮来由記へと変わりました。

控所正面の一番右の御社殿模写絵に関しては去る6月25日に御奉納頂いたものになります。

控所正面 左側 大崎八幡宮来由記 右側 牧互秀による御社殿模写絵

この奉納頂いた絵は、拝殿東側の将軍の間の東側にある絵の模写となります。当宮にはすでに同じ作者の別の模写絵がありましたが、奉納頂いたことで別の模写絵が存在していたということで、驚きがありました。もしかこれにより、牧互秀の模写絵のシリーズが各地に散逸しているという事が分かりました。

牧互秀は、仙台に住んでいた日本画家というのみであまり知られていません。わずかに、土井八枝の随筆にその名が書いてあるのみとなっています。ちなみに、土井八枝というのは、「荒城の月」の作詞者として知られる土井晩翠の妻で、随筆家として活動していました。

その作品の中で、牧互秀の名前が載るのは、「藪柑子(やぶこうじ)」という随筆集です。土井八枝と牧互秀との出来事が書いてあり、それによると日本画において師弟関係にあったようです。また、牧互秀は京都美術学校出身であり、門下生も数多くいたようで、その門下生23名と土井八枝とで仙臺陸軍病院への揮毫慰問をしたというエピソードがあります。

奉納頂いた模写絵
実際の社殿の中にある天女の絵
向かい合った天女の右側になります
「大正十三年甲子年初春 仙台市大崎八幡神社 拝殿枇杷板天人之(の)図 平安 互秀牧模写之」とあります 伊達政宗公が見た色彩が偲ばれます

(祭儀課 石井)

指定都市文化財行政主管者協議会の視察がありました

平成30年7月27日

去る7月27日、(政令)指定都市文化財行政主管者協議会の皆様が大崎八幡宮を見学にいらっしゃいました。

毎年各県が持ち回りで行うこの視察は、各自治体が抱える文化財の現状や問題を共有する事で、全国にある文化財を如何に保護するかの意見交換会でもありました。

当宮宮司より、社殿や文化財保護について講話
社殿内大虹梁の龍や蕨模様について説明がありました。

本年度、文化財(国宝,重要文化財,史跡,名勝,天然記念物等)保護法が変わります。

それまで中心とされてきた「保護」という観点から、「保存・活用」を促す内容に改正されることになりました。

現在、文化財である「国宝」(建造物・美術工芸品等)は1,110件、「重要文化財」(建造物・美術工芸品等)は13,166件と、新たに指定される件数もあり、増加傾向にあります。

しかしながら、文化財所有者(団体・個人)が「文化財」を保護する事は、環境面・経済面でとても負担が大きいものです。これら貴重な文化財をいかに後世に伝えていくのか。須らく所有者の使命と責任により護持されているのが現状です。

文化財とは、先人の培った知恵・知識・技術の結晶であり、日本の歴史そのものです。また、認識不足や不注意により消滅の危機にも瀕する存在です。

大崎八幡宮は、国宝建造物であり、神に祈りを捧げる宗教施設でもあります。400年以上の長い歴史の中、氏子崇敬者皆様の信仰により現在に至るこの歴史を、後世に伝えるべく日々祈り、護持に努めています。

(総務課 小野目)

月次祭を斎行致しました

平成30年7月15日

去る7月15日、月次祭を斎行致しました。

当宮では、仕女の天冠と採り物を季節ごとの花で奉製致します。此の度の祭典では白色の菊の花を使い爽やかさを感じさせる舞の奉仕となりました。

1日に斎行された月首祭に続き4月入社した荒澤仕女の初の祭典奉仕となりました。奉仕を終えた職員の感想をご紹介いたします。

御神楽 萬代の舞
祭典初奉仕の荒澤仕女

以下、荒澤仕女の感想です。

仕女:荒澤美咲

今回初めて月次祭で舞の奉仕をさせて頂きました。緊張で間違えてしまったところもあり、満足した舞はあまり出来ませんでした。次の舞の奉仕では今回よりも納得できるような舞が出来るようにお稽古に励み、祭典奉仕に臨んでいきたいです。

(祭儀課 井上)

北駐車場の松の枯木を伐採しました

平成30年7月19日

境内には鎮守の森として数多くの樹木が生えています。特に杉は仙台藩が植樹を奨励して、「年に一度杉材を下賜した」との記録も残っています。

元来、仙台は赤松が江戸時代以前に多く、日本においても同様で、現在でも一部の業者には「仙台赤松」として在来工法の構置材として重宝がられています。八幡宮の境内にも樹齢200年を超える赤松もありますが、近年の環境変化による為か枯損木が増えてきました。

北参道駐車場入り口にある高さ凡そ15mの松の木々がありますが、そのうちの3本が樹勢の衰えにより枯れかかっていました。

直ちに倒木の危険等はないという事でしたが、台風の季節前に被害拡大を防ぐ為、伐採することになりました。

入り口近くにある為、高所作業車とクレーン車を巧みに使用します。
伐採終了後、駐車場の入り口の視界はすっきりとし、明るい空がのぞめます。
伐採された赤松は、当宮茂庭工作所に搬送し、将来の木工事用材として、他の御用材と共に、当分の間保管する事となっております。
樹齢200年以上の松ではありましたが、被害拡大を防ぐ為の処置となりました。伐採後は、清涼感ある松の香りがたちこめていました。

(総務課 小野目)

仙台北ロータリークラブの発展祈願祭を執り行いました

平成30年7月4日

去る7月4日、仙台北ロータリークラブの皆様の発展祈願祭を執り行いました。

ロータリークラブとは、各企業の経営者のメンバーが、「自分の職業を通じて奉仕する事を主眼として組織されたクラブで、その実行にあたっては、常に企業倫理を重んじ、事故を制御しつつ人々との親睦を深めることを目的」としています。

奉仕活動を通し、地域貢献に努めるクラブの皆様に、大崎八幡大神様の御加護があります事、お祈り申し上げます。

仙台北ロータリークラブ会長 鈴木寿夫殿の玉串拝礼です

禰宜 小野目

雅楽のお稽古を行いました

平成30年7月4日

去る7月4日、雅楽の楽器「 りゅうてき 」のお稽古を行いました。

龍笛講師は、主に東京でご活動されている「伶音舎」の宮丸直子先生をお招きしてのお稽古で、毎月お稽古をつけて頂いております。

当宮では雅楽器(龍笛・篳篥・笙等)を神職・仕女がそれぞれ担当し、祭典や挙式の際、奏上致しております。

来る8月12日「御鎮座記念祭 雅楽の夕べ」翌13日「雅楽の夕に、 雅楽の夕に、」では、普段なかなかご覧いただけない雅楽の演奏や神楽舞の奉奏がございます。

皆様のご参列、ご参加お待ちしております。

三管(龍笛・篳篥・笙)揃っての合奏をすることで、調和のとり方、音の強弱を感じることが出来ます。

偏に、大崎八幡大神様の御神威をお慰めできますよう、一同心を込めてのお稽古となりました。

禰宜 小野目

月首祭を斎行致しました

平成30年7月1日

去る7月1日、月首祭を斎行致しました。

気温が上昇し夏を感じさせる季節となってきました。この日は30℃を超える厳しい暑さの中、先月の月次祭に続き4月に入社した三浦仕女の初の祭典奉仕となりました。奉仕を終えた三浦仕女の感想をご紹介いたします。

日差しが強い中での参進の様子
御神楽 萬代の舞
以下、三浦仕女の感想です

7月1日の月首祭で初めて萬代の舞を奉仕させて頂きました。4月からお稽古で練習を積み重ねてきた萬代の舞でしたが、猛暑の中行った月次祭は最後まで舞いきれるかとても心配でした。また、一緒に舞う先輩と息を合わせる事が難しくまだまだ練習が必要だなと実感しました。今回の経験を生かし、次の祭典に向け日々の練習やお稽古に力を入れ頑張っていきたいと思います。

三浦 菜々子

(祭儀課 井上)

浄階ならびに神職身分一級昇進 祝賀会を開催しました

平成30年6月21日

去る6月21日、当宮宮司が浄階並びに神職身分一級に昇進したことに伴う祝賀会を開催しました。 当宮の総代役員10名が発起人として、今回の祝賀会を企画しました。

式は、司会のアナウンスにより、発起人紹介並びにご挨拶、伊達家十八代当主 伊達 𣳾宗様の祝辞、神社本庁総長 田中恆清様の祝辞、記念品贈呈、花束贈呈、宮司謝辞、祝舞、と滞りなく進み最後に謝辞によって閉会となりました。

花束贈呈には、宮司へご愛孫より、令夫人には職員ご息女2名、さらに永年の内助の功を称え地区世話人の御婦人からとそれぞれ贈られました。

祝舞は、京都より来て頂いた冨田屋(とんだや)から舞妓、芸妓の方々によって祝いの舞が披露されました。此の冨田屋さんは、宮司が國學院大學時代の同期会が京都で開かれてから、40年來のお付き合いのあるお茶屋さんからのお祝いでした。

祝宴の乾杯には、当宮宮司が大変お世話になったという霧島神宮 名誉宮司 高橋弘平様の音頭により華々しく執り行われました。

また、祝宴の途中には清興として、宮城県民俗芸能文化財に指定されている大崎八幡宮能神楽保存会の皆さんにより「神拝」をお披露目されました。

この演目は、伊弉諾伊弉美の二柱の夫婦の神がこの世を創るという場面を演じたものです。まさに、この世が誕生するという生命力に満ち満ちた舞で、これからの発展をお祝いする良い演目となりました。

出席者には、県内外の神社関係者のみならず地区町内会、國學院大學の同期会、鶴岡八幡宮の鶴友会、崇敬者、文化財関係の方など業種を問わず、様々な方がお見えになり、宮司が今日まで築きあげてきた神社との広い結びつきにより、盛大に執り行われました。

宮司・令夫人が皆様をお出迎えしました 舞台上には、能神楽保存会所有の旗
発起人(役員総代一同) 来賓祝辞「伊達家当主 伊達𣳾宗様」
祝辞「神社庁総長 田中恆清様」 花束贈呈は宮司御愛孫と職員の御息女から
乾杯「霧島神宮名誉宮司 高橋弘平様」 京都・祇園「冨田屋」 演目:祇園小唄
大崎八幡宮能神楽より「神拝」 祝宴風景
発起人謝辞 出席者皆様をお見送り
舞妓・芸妓さんもお見送り 集合写真を…
小休憩 大学時代の同期の皆様

ご出席頂いた皆様、お祝いを頂戴した皆様の御芳名(50音順、敬称略)

(祭儀課 石井)

神宮参与同評議員会・伊勢神宮崇敬会代議員会に出席致しました

平成30年6月7日

去る6月7日、8日、神宮会館(三重県伊勢市)にて開催された「平成30年度 神宮参与同評議員会・伊勢神宮崇敬会代議員会」に宮司以下随行1名が出向して参りました。

伊勢神宮は全国の神社の中には○○神宮と呼ばれる神社が多々あるため、一般に伊勢神宮と呼ばれることも多いですが「神宮」の一言で呼ばれるのが正式な呼称です。全国の神社の本宗と仰ぐ伊勢の神宮は中心的存在であり、神社本庁では「本宗」とされています。

五十鈴川の川上に鎮座する皇大神宮(内宮と称する)と山田原に鎮座する豊受大神宮(外宮と称する)を中心に、両宮に付属する別宮(内宮10社、外宮4社の計14社)と、摂社(内宮27社、外宮16社)、末社(内宮16社、外宮8社)、所管社(内宮33社、外宮4社、別宮所管社計8社)の125社の神社を包含する神社の総称です。

平成25年には20年に一度、全ての御社殿を新宮に建て替える遷宮が執り行われた事は記憶に新しい事です。

「神宮評議員会・伊勢神宮崇敬会評議会」は、全国から、年に一度この時期に「参与・評議員」が招集されており、神宮大宮司「小松揮世久氏」と崇敬会長の松下正幸氏の御挨拶を頂きました。

会議では神宮の現況や事業計画、会務、予算、人事等、報告承認され粛々とすすめられました。

会議の様子

平成25年に20年に一度の「第62回式年遷宮」が行われ1400万人の参拝者を迎えましたが、昨年も880万人の参拝者が「お伊勢参り」をしたと報告にありました。特に「若者の神宮参拝が劇的に増えている。」そうです。

式年遷宮は持統天皇の御世、西暦690年に始まり1300年にわたって脈々と続けられており、日本の文化そのものであります。古事記、日本書紀が描かれている時から続くもので、我々は「日本という国柄を護持」するためにも後世に繋げていかねばならないと改めて、強く思いました。

6月8日の本会議に先だち前日には、伊勢市より40km程離れた大紀町に鎮座しておる内宮別宮「瀧原宮」へ、普段は参拝できない神社とのことでお参りいたしました。

「瀧原宮」とは天照大御神をお祀りし古くから「遥宮(とうのみや)として崇敬を集め、二つの別宮が並立し、御舟倉を有するなど他の別宮と異なる点が多々ありました。

また由緒には第11代・垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)がこの地を「大河の瀧原の國」と云い美しい場所と見定め、お宮を建てたことが始まりとされています。

その後、天照大御神の神意により、現在の内宮に新たにお宮を建てたため、瀧原宮は別宮としてお祀りされることになったとされています。

内宮別宮「瀧原宮」 境内には川も流れ、さながら小さい内宮のようです。
宮司は、ここで手水をとりました。
滝原宮です

またこの後の夕刻からは、全国より出席した約550名の関係者と親睦会が開催されました。

懇親会の様子です

6月8日は、会議に先立ち、外宮、内宮の御垣内参拝、別宮を参拝し大々神楽を奉納させて頂きました。

6月8日 外宮御垣内参拝へ

神宮の式年遷宮は大きな話題を呼び、多くの人々が神社、あるいは神道について興味を持ったことと思います。

また、平成28年には第42回先進国首脳会議(サミット)が伊勢市を中心に開催され、各国首脳が神宮を訪れたことは世界に発信され、外国の方も多くお参りをされ、過去最高の参拝者数を記録することとなりました。

そんな神宮の内宮にお祀りされているのは、天照大神という神様で、そのお札の事を「神宮大麻(じんぐうたいま)」といいます。この神宮大麻は毎年新年を迎える前に、新しい御神札に取り換える事は御承知の通りであります。

神宮を始め全国の神社が頒布し、教化活動に勤しんでいます。

(祭儀課 髙橋知生)

夏越しの大祓式

平成30年6月30日

平成30年、6月30日(土)、当宮夏越しの大祓式は午後3時より休憩所脇臨時齋場にて宮司以下祭員4名にて執り行われました。

6月上旬、北上川周辺で茅の輪の材料となる茅(ちがや)を刈り取りに出向してから同月下旬、茅の輪の形づくりを行い、26日には境内表参道に茅の輪が設置されておりました。

境内に設置された茅の輪

この夏越しの大祓式の起源は古く、毎年6月の晦日(みそか)(30日)に現在では宮中は勿論全国各神社で行われておりますが、平安時代より毎年6月と12月の晦日(みそか・つもごり)、親王を始め大臣以下の百官の男女を朱雀門の前の広場に集めて行われたもので、どちらかというと実際鎌倉時代に残ったのは6月のほうでした。

『徒然草』にも「水無月祓へ、またをかし」とあり、「水無月の夏越しの祓へする人は千歳のいのちのぶとこそきけ (または のぶといふなり)」『拾遺和歌集』(平安時代、所謂三代集の一つ)という古い和歌もあります。

茅の輪くぐりの神事は、スサノオノミコトが茅の輪をかけて疫病を免れしめた説話を伝えている『備後風土記』や蘇民将来が起源とされております。古来、先人が見出した茅萱(ちがや)の植物の呪力に従ったものでしょうか。

大祓式参進

当宮夏越しの大祓式の式次第は、

一、 紙包を頒つ
一、 宮司祓を仰す
一、 大祓詞宣読
一、 大麻塩湯を執りて祓う
一、 茅の輪くぐり並びに参拝
一、 神酒拝戴 神札授与

と定められ、進行されました。

本年は、土曜日と重なったこともあり、約180名の参列がございました。

禰宜による大祓詞宣読 祭員による宣読中の八針奉仕

祓へ物、祓への具を、解き縄、切麻、大麻(榊、麻)、木綿の白布、形代などの様々なものを用いて、今年半年分の知らず知らずのうちに積み重なった罪・穢れを祓い、最後に社殿前でお参りし、すがすがしい心身で厳しい夏を越え、向こう半年を無病息災で過ごせるよう、執り行われるのがこの夏越しの大祓式で、この度は同日引き続き社殿前にて、ご参拝の方々が書いて行かれておりました祈願串のお焚き上げ祭も行われました。

宮司以下祭員茅の輪をくぐる 社殿前にて一同参拝
祈願串お焚き上げ祭

境内内茅の輪は、例年7月8日頃まで設置されておりますので、是非この機会にご参拝下さいますようご案内申し上げます。

第106回別表神社会に参加して参りました

平成30年6月25日

去る6月25日、宮城県内にある別表神社の会議に参加して参りました。

宮城県内の別表神社は、塩釜市の塩釜神社、岩沼市の竹駒神社、仙台市の宮城県護国神社、石巻市の金華山黄金山神社と、当宮の5社でございます。

年に2回ある別表神社の会議は各社持ち回りで、今回は黄金山神社で開催されました。

今回で106回目を迎えるこの会議は、凡そ50年以上続いている由緒ある会議です。

各社の近況や今後の斯界発展の為の、有意義ある会議となりました。

石巻市女川港より船で20分の離島に鎮座する金華山黄金山神社です。
当日は晴天に恵まれ、海も穏やかで渡航することが出来ました。
本殿拝殿へ向かうには凡そ100段の階段を上ります。
宮城県の別表神社会の集合写真です

禰宜 小野目

鉄魚のメンバー交代をしました

平成30年6月21日

昨年の平成29年4月より当宮にて参拝者の目を楽しませていた鉄魚たちですが、この一年で良く育ち、大変立派に成長いたしました。

だんだんと職員に懐くようになりましたが、水槽が手狭になりこの度メンバー交代となりました。

鉄魚は生活環境により個体の色が変化します。どのような姿になるかこれから楽しみです。

新しい鉄魚たちです 赤い鉄魚(右から2番目)は昨年に引き続き残ることになりました。
慣れない水槽でも元気いっぱいです

小さい鉄魚が水槽に泳ぐようになりました。是非かわいらしい鉄魚たちをご覧になってください。

祭儀課 石井

第4回杜の都の音楽祭 inはちまんが開催されました

平成30年6月20日

去る6月10日当宮の境内にて「第4回杜の都の音楽祭 inはちまん」が開催されました。

この音楽祭は、今年で第4回目を迎え「音楽が持つ人と人を繋げる活力で作る地域の新しい文化」としてだんだんと定着してきた頃となりました。

また、神社を中心としたすべてが手作りで持続可能なコミュニティーの新たな創成を目指し、今年も音楽を通じて多くの出演者が境内にて演奏を致しました。

演奏は、午前11時から午後7時頃まで続き、境内の3カ所のステージにて賑わいを見せました。当日はあいにくの雨でしたが、境内いっぱいに音楽が響きわたり楽しい音楽祭となりました。

宮城県宮城広瀬高校吹奏楽部による演奏
大石段下ステージにて弾き語り
斎場ステージにて
広場ステージにて

雨の中、出演者と共に参拝者もとても楽しそうで、地域コミュニティーのつながりが、より一層深まった音楽祭となったのではないでしょうか。

また、当日は以下のようなプログラムで行われました。

【斎場ステージ】

時間 出演者
11:10~ MTVee
11:45~ 宮城広瀬高等学校吹奏楽部
12:20~ くじらブロウ
12:55~ ラブミーブラザーズ
13:30~ トラバンド
14:05~ 髙橋雅文とシュガーラビッツ
14:40~ Andante+
15:15~ BORDER
15:50~ SHOWA
16:25~ デリケートゾーン
17:00~ 11Beat's
17:35~ YOJO-BAND
18:10~ THE BENEFITS
18:45~ エルドラド

【広場ステージ】

時間 出演者
11:10~ huku kuma
11:45~ B2
12:20~ Sing Sing along
12:55~ マキ☆ザキ
13:30~ Hey-Say
14:05~ As
14:40~ Uncle-Tets & The"ALZ"maker Quartet
15:15~ Note
15:50~ Jug Jug うまっ仔
16:25~ COZY and Special Thanks
17:00~ 歌凛燈
17:35~ Blues Bird
18:10~ エルコンドルパサ

【大石段下ステージ】

時間 出演者
11:10~ りょうた
11:45~ おばた かずえ
12:20~ 音ちゃん
12:55~ コバンザメ1号
13:30~ スト
14:05~ YOKO & YUI
14:40~ YASU
15:15~ KA_ZE
15:50~ Mai
16:25~ 吉田 ゆうじ

また、6月30日には、「水無月大祓」が執り行われます。現在境内には人形・車形が置いてありますので、半年間の穢れを祓い清めに是非お参りにいらしてください。

祭儀課 三浦

「御鎮座四百壱拾年記念事業顕彰碑」を建てました

平成30年5月25日

去る平成28年度は、伊達政宗公の仙台開府に伴い慶長12年(1607)に当宮が創建されてから410年の節目の年となっておりました。そのため、平成25年度より「御鎮座四百壱拾年記念事業」として、境内の様々な整備を行ってきました。

そして平成29年度の例大祭では、御鎮座四百壱拾年奉祝記念祭として盛大に執り行い、祝詞に添えて境内整備の旨を八幡様にお伝えしました。

平成30年になり、御鎮座四百壱拾年記念事業のすべてが終了した為、それを顕彰し後世に伝えるべく石碑という形で残す事となりました。石碑は、手水舎の脇の祓所にございます。



以下が石碑の文面となります。


藩祖 伊達政宗公は仙台開府に伴い慶長十二年累代の冥加に感謝し大崎八幡宮を創建されました

平成二十八年には御鎮座から四百壱拾年の佳年を迎え三ヵ年かけて記念事業を起こし完遂することができました

茲に御奉賛頂きました皆様方に感謝し記念碑を建て顕彰いたします

事業内容
一、 表参道手水舎建築工事
一、 自動車祓所並びに駐車場管理詰所建設工事
一、 北参道舗装工事
一、 参拝者多機能トイレ建設工事
一、 国庫補助事業
平成二十八年度御社殿千鳥破風他美装化工事
平成二十九年度内部剥落止彩色漆塗美装化工事
平成三十年三月三十一日
仙台総鎮守 國寶 大崎八幡宮 宮司 小野目博昭
責任役員 川上良雄 千田文彦 鈴木賢 早坂進
総代 星山己知郎 佐藤幸二 小野修 千葉文裕 庄司健二 佐藤信一 小林友和 澁谷雄一 森和男
奉賛者代表御芳名
阿部秀一 (株)阿部 石田道人 (株)植耕 佐藤秀樹 大谷津富美子 (有)佐藤商店 川上良雄 川上浩 菅野哲子 (株)佐勘金物店 三瓶正 芝祐靖 (有)末広 鈴木賢 鈴木博 玉野潤一 (有)竹林舎 千田文彦 (株)東北永愛友商事 富谷定儀 早坂進 最上知意子 (株)リブネット東北 別格本山 龍寶寺 和田洋子  十万円以上(五十音順) 他 七八五名
祓所の中に石碑があります

御鎮座四百壱拾年記念事業につきましては、以下のURLよりご覧いただけます。
また、過去の「鳩子の部屋」の記事にもございますのでご覧ください。

www.oosaki-hachiman.or.jp/event/410.html

事業名 「鳩子の部屋」バックナンバー
表参道手水舎建築工事 平成27年 10月
自動車祓所並びに駐車場管理詰所建設工事 平成28年 4月
北参道舗装工事 平成27年 11月
参拝者多機能トイレ建設工事 平成29年 4月・7月

工事期間中は、皆様にご理解ご協力を頂きましてありがとうございました。

6月になりますと、杜の都の音楽祭(10日)や水無月大祓式(30日)が執り行われます。こちらも併せてご参拝頂ければと思います。

祭儀課 石井

月首祭を斎行致しました

平成30年5月1日

去る5月1日、月首祭を斎行致しました。

此の度の祭典では、仕女の天冠と採り物を、ピンクの菊の生花で奉製いたしました。緑が深くなるこの季節に彩りを添えた舞となりました。

御神楽「萬代の舞」

また、5月1日より及川剛幸権禰宜が職員として加わりました。

宮司より辞令を受け取ります。

スタートの春からは時期が少しずれておりますが、新たに神職1名を加え改めてスタートいたしました。

毎月1日と15日には月首祭、月次祭が執り行われます。どなたさまも御参列頂けますので、どうぞお参りをお待ちしております。

祭儀課 石井

ヴォスクオーレ仙台の必勝祈願を斎行

平成30年4月24日

去る4月24日、雨が降る中、仙台のプロ・フットサルチーム、「ヴォスクオーレ仙台」の必勝祈願を斎行いたしました。代表取締役 坂本理殿、監督 ホセ・フェルナンデス・コルティーナ殿を始め、スタッフ含め21名の参拝がありました。

ヴォスクオーレ仙台は、宮城県仙台市をホームタウンとし、日本フットサルリーグ(Fリーグ)に加盟するフットサルクラブです。

チーム名の綴りは、「Voscuore(ヴォスクオーレ)」です。由来は伊達政宗公の時代から仙台に縁の深いイタリア語で、杜(森)を表す「Bosco」と、勇気や志を表す「Cuore」を組み合わせ、頭文字を勝利の「V」に換えた造語です。

また、「Vos」はラテン語で「あなた達の」の意味でもあり、地域に根差すクラブとして活動しています。

2017-18シーズンは、過去最高9位でシーズンを終えました。

フットサルとは、サッカーと似た非なる競技で、主に室内のコートにて5人で行います。ボールの大きさはサッカーボールとほぼ同じ大きさで、弾みにくいボールを使用し、プレイ時間は、サッカーよりも短い時間で行う競技となっています。

絵馬を書いている選手
玉串に願いを込めてお参りされました。
今年の絵馬

絵馬には、サインの他に目標も書いてあるので、是非ご覧になってください。また絵馬は、社殿左側西回路に飾ってあります。


ヴォスクオーレ仙台の皆様には大崎八幡大神様の御加護の下、ご活躍をお祈り申し上げます。

「必勝祈願終了後、社殿前にて」

祭儀課 荒澤

平成30年4月27日「平成30年 春 敬神功労章授与式参列」

平成30年4月27日

去る平成30年4月27日午前11時より、神社本庁(東京都渋谷区代々木1丁目1番2号)神殿にて「敬神功労章授与式」が執り行われました。

この度、永年にわたり責任役員を務められております千田文彦様が神社界への功績を賞され、目出度く有功章(敬神功労賞は特別功労賞・功労章・有功章の三等級あります)を授章される運びとなりました。

当日は功労章及び有功章授章者計55名の内、32名(功労章5名・有功章27名)が参列しました。午前11時より敬神功労章授章奉告祭が厳粛に執り行われ、続いて授与式では神社本庁総長田中恆清様、副総長𠮷川通泰様より授章者一人一人に賞状が手渡されました。

授与式後には玄関前で記念撮影の後、明治記念館(東京都港区元赤坂2丁目2-23)へバスにて移動し、直会を行いました。

直会終了後は千田役員の希望もあり、靖国神社で正式参拝を行うとともに同神社博物館「遊就館」を見学、その後仙台へ戻り、当日の午後6時より当宮で行われた総代世話人会において授章された責任役員千田文彦殿は「今日一日の出来事は一生忘れない思い出となりました。」と挨拶されました。



※敬神功労章とは

神社本庁敬神功労章授与規程、第一条に「神宮及び神社の役員及び総代その他の氏子崇敬者にして、特にその功績顕著なる者には、本規程の定むる処に依り統理に於てその功績を顕彰し、敬神功労章を授与する。」とあります。

つまり永年にわたり神社の役員・総代・氏子崇敬者を務めた方々が、神社本庁統理に表彰される目出度い章だとご理解頂ければと思います。

「神社本庁神殿にて斎主玉串拝礼」 「総長より賞状を手渡される千田文彦殿」
「神社本庁玄関前にて記念撮影(三列目左から4番目に千田文彦様)」
「総代世話人会にて挨拶する責任役員千田文彦殿」

また、今回の総代世話人会では、三上勇様を八幡地区3区世話人として委嘱する事となり、併せて宮司より委嘱状が手渡されました。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

「宮司より委嘱状を手渡される三上勇殿」

奉賛課 石垣仁孝

刈田嶺神社の除雪奉仕を行いました

平成30年4月23日

去る、4月23日蔵王山刈田嶺神社奥宮の雪かきに行って参りました。蔵王エコーライン開通に伴う事前準備となります。今年は、職員8名と共に宮司自らスコップを手にとり雪かきに臨みました。

昨年は積雪量が多く、御社殿の屋根まで隠れてしまう程積もっておりましたが(画像をご覧下さい。)、今年は暖かい日が続き雪はほぼ溶けておりました。

蔵王エコーラインは霧が深くかかっており、前が見えないほど真っ白でしたが、山頂に近づくにつれ霧が薄くなっていき、山頂では暑いほど快晴でした。

ちなみに、刈田嶺神社の御祭神は天之水分神・国之水分神(あまのみくまりのかみ・くにのみくまりのかみ)という水の神様です。

晴天のときは、山頂からエメラルドグリーンの美しい御釜が見えます。





皆様も是非刈田嶺神社にお参りに行ってみてはいかがでしょうか。

奥に見えるのが刈田嶺神社奥宮 山頂から見える御釜
今年は雪が少ないです 昨年の雪の様子
最後に鈴の緒を取り付けます 雪かき開始
雪かきに参加した方々

今年初参加の職員の感想です


今回初めて刈田嶺神社奥宮雪かきに参加させて頂きました。数年前に旅行で訪れた際は8月頃だったため、雪景色の奥宮は初めて拝見しました。途中深く積もった雪に足を取られるなど苦労してたどり着いた奥宮は数年前と変わらず鎮座しており、思い出からの懐かしさや晴天に映える奥宮の神々しさを感じる貴重な体験でした。来年も是非参加したい所存で結びの言葉とさせて頂きます。

石垣 仁孝


想像していた雪の山から一転し、積雪がとても少なく驚きました。少ない雪でも下の方が凍っており力のいる作業で大変でした。貴重な体験ができ良かったです。

井上 美保


初の刈田嶺神社の雪かきは思っていたよりも晴れていてとても暑く大変でした。ですが、蔵王山の御釜を見ながらの雪かきはとても景色が良く晴々とした気持ちで作業することが出来ました。

三浦 菜々子


山を登るにつれ、霧が濃くなり去年と同じくらい雪が多いと思いましたが、山頂はとても暑く雪が少なかったです。雪が少ないこともあり無事に終わることが出来て良かったです。刈田嶺の山頂にしかない石碑なども見られることが出来ました。またこのような経験をしたいです。

荒澤 美咲



祭儀課 井上

大崎八幡宮職員一同より お慶びを申し上げます

平成30年4月5日

此の度、当宮の宮司が、3月1日付けで神職階級浄階、身分一級へ昇進致しました。

神職の身分は、浄明正直(じょうみょうせいちょく)という四字熟語より階位の名前が執られています。意味は、「きよく、あかるく、ただしく、なおく」というもので、神明奉仕の精神を簡潔に指す言葉として大切にされているものです。

浄階というのは、その4つの階位の中で最高位となり、長年神社界に務めその功績を認められた名誉ある階位でもあります。

その功績としては、当宮の宮司は、昭和52年に神職となり、41年間という長い間この神社界を支えてきました。

昭和56年より大崎八幡宮に務め昭和62年に宮司職に任ぜられてからは、御鎮座400年記念事業・「平成の大修理」をはじめとする多くの大事業を役員総代氏子崇敬者の皆様方と伴に行い大崎八幡宮を守ってきました。

また、去る4月5日には、宮城県神社廳仙台支部主催の神職身分浄階一級昇進祝賀会が開かれ、仙台市内の主な神社の宮司が出席し、そうそうたる顔ぶれとなりました。

祝賀会の様子

これからも、丁寧な祭典奉仕の姿を見たいと思います。この度は、昇級誠におめでとうございました。

また、これから発行される第50巻の八幡様だよりにも昇級に関連して、神職身分と衣冠(装束)の関係について書いてありますので、併せてご覧ください。

伊達武将隊出陣式を執り行いました。

平成30年4月1日

去る4月1日、第九期 奥州・仙台おもてなし集団伊達武将隊の出陣式を行いました。

「奥州・仙台おもてなし集団伊達武将隊」とは、仙台城跡を拠点とし、伊達政宗公を中心に仙台の魅力と歴史を伝えるおもてなし集団です。

今年は、片倉小十郎重綱殿が甦り(メンバーに加わり)、片倉小十郎景綱殿との親子コンビで益々仙台を盛り上げてくれることを楽しみにしております。

また、大絵馬には筆にて「ともに前へ」という言葉と共に、皆様の花押を記入して頂きました。この大絵馬は、現在西廻廊にございますので、参拝された折にはぜひご覧ください。

太鼓と共に表参道を参進 社殿前にてお祓いを受けます
玉串に祈念を込め、お参りされました
大絵馬記入の様子
大絵馬の記入を見守る武将達 甦った片倉小十郎重綱殿も記入します
書き上げた大絵馬を掲げて「ともに前へ!」

祭儀課 石井

月首祭並びに辞令交付式が執り行われました

平成30年4月1日

去る4月1日、月首祭並びに辞令交付式が執り行われました。

この度の祭典では、新人仕女3名が宮司の祝詞に併せこれから奉仕するにあたっての思いを胸に玉串を奉りました。

祭典の様子 辞令交付の様子

最後に、当宮に4月より奉仕いたします仕女3名のご挨拶を紹介いたします。

仕女 井上 美保

大崎八幡宮には、初詣や合格祈願などでお参りに来ておりました。去年までは、願掛けに来ていた場所に、この度ご奉仕させて頂けることを大変うれしく思っております。

お正月、松焚祭、そして一週間の研修を終え、いよいよ本格的に仕事が始まります。仕事中に使う言葉や動きは、普段使わないものが多く大変ですが、日常とのメリハリをつけ、自然と出来るように努力したいと思います。覚える事も沢山ありますが、一つでも早く仕事をこなすために先輩方の話をよく聞き、時間配分もしっかりできるようになりたいです。大きい社殿に広い境内の清掃はとてもやりごたえのあるもので、今までの感謝の気持ちも込め丁寧にやって来たいと思います。

これからの仕事を通し、仕女としても社会人としても一人前に成長できるように頑張ります。

仕女 三浦 菜々子

4月から新しく奉仕させて頂く事になりました三浦菜々子です。私は、まずこの職場に慣れ、1日でも早く仕事を覚えていきたいと思っております。また、舞のお稽古や祭典など、不安な事や楽しみな事が沢山ありますが一生懸命頑張りたいと思います。

仕女 荒澤 美咲

4月から新しい仕女として奉仕させて頂く荒澤です。私は人と関わる事が好きで、人と関わること、舞や雅楽などが出来る仕女に志望しました。また、大崎八幡宮で行われる祭事にも、とても興味がありました。

今日行われた月首祭では、厳かな空気の中での辞令交付式でしたが、大崎八幡宮の仕女として精一杯頑張ります。沢山のご迷惑をお掛けすることもあるかとは思いますが、宜しくお願い致します。

月首祭を終えて、辞令を持つ新人仕女
(左 井上美保  中 三浦菜々子  右 荒澤美咲)

新人仕女3名と共に当宮にも4月の爽やかな風がやって参りました。各々の特技を生かして、八幡様のもと、御奉仕に務めて頂きたいと思います。

また、4月より社会へ出られました方も、八幡様の御加護を受けられましてそれぞれの場でご活躍されることをお祈り申し上げます。

祭儀課 石井

花壇自動車学校納車式並交通安全祈願祭斎行

平成30年3月20日

去る平成30年3月20日、最新型教習車両納車式が花壇自動車学校(仙台市青葉区花壇8-1)にて行われ、当宮から宮司小野目博昭以下3名が出向し交通安全祈願祭をご奉仕致しました。

今回納車された教習車はトヨタ自動車が新型教習車「トヨタ教習車」として全国展開している車両です。この車両は一貫して宮城大衡工場で生産され、その記念となる第1号車を含めた計32台が納車されました。

当日は午前10時過ぎより宮城県知事村井嘉浩殿をはじめトヨタ自動車東日本株式会社取締役社長白根武史殿、仙台トヨペット株式会社会長亀井文行殿、学校法人角川学園代表角川重博殿参列のもと、安全祈願祭が厳粛に斎行されました。

今回当宮より授与した交通安全御守にはお祓いした新型教習車のナンバーがそれぞれ浄書されています。その一体一体を新しい教習車にお祀り頂く事で、これから運転教習を受ける教習生や指導に当たる教官の皆様に八幡様の御加護を享受されます事を心より祈念申し上げます。

斎場の様子 大麻にてお祓い
宮司祝詞奏上① 宮司祝詞奏上②
村井嘉浩殿玉串拝礼 白根武史殿玉串拝礼
亀井文行殿玉串拝礼 角川重博殿玉串拝礼
村井嘉浩殿挨拶 新型教習車①
レプリカキーとともに記念撮影 新型教習車②
新型教習車③

祭儀課 石垣仁孝

日本遺産の看板

平成30年4月9日

去る平成28年4月25日に「日本遺産(Japan Heritage)」に「政宗が育んだ“伊達”な文化」として認定され、そのことを示す看板が立てられました。

「日本遺産(Japan Heritage)」とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。

平成27年~平成29年までに認定されたストーリーは、全部で54件です。

そのうちの1つに(仙台市、塩竈市、多賀城市、松島町)に跨る「政宗が育んだ“伊達”な文化」のストーリーが認定されました。当宮は、国宝である御社殿と県無形民俗遺産となっている能神楽と市無形民俗遺産となっている松焚祭(どんと祭)の3つがこのストーリーを構成するものとして認定されています。

御社殿は、桃山様式の現存最古の権現造りとして国宝となっており、此のストーリーでは、政宗によって文化が確立される際に建てられ政宗の志向を表す、伊達な文化を最も代表する建造物として認定されました。

そして、当宮の能神楽は、仙台地方に多くみられる他の神楽と形態が異なり、遠田郡八幡邑あるいは玉造郡岩出山鎮座時点から伝承された可能性が高いとされています。藩の扶持を受け社人が演じたという由緒があり、庶民への伊達な文化の広がりを指すものとして認定されています。現在は、9月14日の例祭日の宵宮に舞曲八座の伝承演目が神楽殿にて舞われ、「神拝」「小弓遊び」「龍天」「摩応」「三天」「将足」「四天」「獅子とり」の順で演じられます。

また、同じく庶民への広がりとして認定されたのが、松焚祭(どんと祭)です。江戸時代の仙台城下にて当宮で正月の松飾をお焚き上げしたことが始まりとされており、近代以降に「どんと祭」の名称と共に広がり、現在では、1月14日に行われ、正月の終わりを締めくくる宮城の代表的な小正月行事となりました。

表参道にある日本遺産の看板
二之鳥居の近くにあります

QRコードを読み取ると外国語でも解説が見れます

北参道の日本遺産の看板 北参道の脇にあります

祭儀課 石井

東北楽天ゴールデンイーグルス必勝祈願斎行

平成30年3月27日

去る3月27日午後3時、東北楽天ゴールデンイーグルスの必勝祈願を斎行いたしました。

今年は天候にも恵まれ、暖かな日差しの中での必勝祈願となりました。

立花社長、梨田監督、岡島会長をはじめ、ユニフォームを着た選手たち50名は、大石段を登り、少し緊張した面持ちで御社殿へ向かいました。

御社殿へ向かう選手たち
玉串拝礼
(右から岡島会長、立花社長、梨田監督、嶋選手)
(立花社長)楽天絵馬に願いを込めて

30日からプロ野球が開幕しました。

ホーム開幕戦は4月3日からです。

昨年は、パ・リーグ3位と健闘しました。今年は、5年ぶりの優勝を目指す皆様の御活躍を八幡様と共にお祈り申し上げます。

祭儀課 村上

美装化工事が完了しました

平成30年3月22日

昨年より行われてきた美装化工事ですが、3月22日に階段の金具取り付けを以て完了いたしました。

金具の修理につきましては、以下の通りの作業が行われました。

当宮の社殿より金具を取り外し、まず歪みを叩き直します。そして着色作業に入る前に、汚れや油分などを洗い落します。次に地金に亜鉛を定着させ、硝酸水銀を配りその上から金箔を3回押します。熱を当てて水銀を蒸発させ、仕上げを施したのち、当宮の金具の取り付け作業へとなりました。

当宮の御社殿は、慶長12年に伊達政宗公により創建され実に410年以上の長い年月が経っております。この御社殿を国の宝として神職の祝詞でも使われる「子孫の八十続きに至るまで(顔を見る事のない我が子孫の代、更にもっと先の子孫に至るまで長く続いていくように という意味)」守り伝えて行くため、漆の塗り換え等を行っております。

皆様には、長い間この工事につきましてご理解を頂き、ご協力頂きましてありがとうございました。麗しき装いとなりました御社殿にてどうぞお参りをお待ちしております。

金具取り付けの様子
実は、この取り付けされた擬宝珠には伊達政宗公の名前と恵澤山に建てられた八幡宮という銘が刻まれております。
全ての金具が取り付けられました

祭儀課 石井

別れと出会いの春がやってきました

平成30年3月15日

去る3月15日、月次祭が執り行われました。此の度の祭典では、2名の参列がありました。

また3月末日にて退社する日下仕女の最後の奉仕でもありました。7年もの長い間当宮にて御奉仕致しました。最後にこの場を借り日下仕女よりご挨拶を申し上げます。

日下 瑞季 仕女
「萬代の舞」は10分足らずの舞ですが、その中にたくさんの思い出が詰まっております。
入社当初は先輩仕女に舞を合わせるのが精一杯だった事、練習を重ねるたびに周りを見ながら舞う余裕が出てきた事、心から楽しみながら舞えるようになった事。
長いようで短かった7年間、私を支えて下さった皆様に感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

祭典の様子 萬代の舞

仕女1名、出仕1名が退社となりますが、当宮には4月より新たに職員が加わります。日下仕女に代わり当宮を一緒に支えてくれる仲間として期待しております。

ご参拝頂く皆様にとっても春というのは変化がある季節であろうと思います。

辞書では、何を以て「春」というのかについて、気象学や天文学などいろいろな見方立場によって変わってきますが、古来より「春秋」という歳月を指す言葉があるように、その始まりをいうのが「春」でした。

別れと出会いそして始まりの春がやって参りました。どうぞ八幡様の御加護を得られまして皆様にとって良き始まりを迎えられます様お祈り申し上げます。

祭儀課 石井

境内北駐車場倒木

平成30年3月1日

去る平成30年3月1日午後3時頃、当宮北駐車場内の杉(全長約14m)が強風に煽られ倒木しました。幸い怪我人はいませんでしたが、日本遺産の名板を境内に設置するための打ち合わせに来社されていた宮城県教育庁文化財保護課の車両と、参拝者の車両2台が被害を受けました。

【被害状況】
被害車両は木が右側に倒れたため、エンジン等への直接的な被害がなく自走可能な状態でしたが、フロントガラスの一部が割れており、また運転席側の窓ガラス及び右サイドミラーが全壊、運転席側のドアが開かなくなりました。

【倒木原因】
倒木撤去作業は(株)植耕と協力して行い、その際に判明した倒木の原因は虫食いによる木の内部の空洞化と当日の強風(最大瞬間風速35~40m/sec)によるものとのことでした

【纏め】
改めて倒木の被害の大きさと自然の脅威を痛感し、今後の再発防止に努めて参る所存です。また今回の倒木により車両の被害に見舞われた皆様には自然災害とは云え多大なるご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます。

北参道鳥居から見た現場状況
北駐車場から見た現場状況 被害車両の状況①
被害車両の状況② 根元付近の状況
虫食い被害により空洞化した内部

祭儀課 石垣仁孝

祈年祭が斎行されました

平成30年2月17日

去る2月17日、祈年祭を斎行致しました。

神社で行われる祭典には、大祭、中祭、小祭と分かれています。そして大祭とされるのは、ご祭神に関わるものと稲作に関わるものがあります。

この度、斎行した祈年祭は、稲作に関係する祭とされ大祭となります。祈年祭は、一般的に「きねんさい」と呼称されますが「としごいのまつり」ともいいます。「とし」は、穀物の実りを、「ごい」というのは「乞う」という意味になります。つまり、穀物の実りを八百万の神様に乞うという祭になります。

また、当宮では今年度の入社予定の仕女(巫女)三名が参列し、それぞれ玉串拝礼を致しました。毎年この時期に出社して頂き、当宮の祭典奉仕の姿を身近に感じて頂きます。また、4月から支給する装束の採寸等も行っております。

御神楽を真剣なまなざしで見ています 玉串拝礼
献饌 宮司 祝詞奏上
御神楽 浦安の舞

われわれの生命の根源とも言える「食」つまり「稲作に関する」祭りごとを、古の人々は特に大切に行ってきました。この度の祭典は、平安時代より続くもので、由来はもっと古く我々の先祖が稲作をするようになった頃にまで遡ることもできるでしょう。

「いただきます」と食前に手を合わせた時に、この悠久の時を感じてみてください。

祭儀課 石井

紀元祭が斎行されました

平成30年2月11日

去る2月11日、紀元祭が斎行されました。

この日は、建国記念日となっていますが、皆さんは日本の国が出来てから何年たったと思いますか。今年は皇紀2678年になります。つまり、日本という国は2678年の歴史があり、これは世界で最も長く続く唯一の国なのです。そして、この戦前の2月11日は四大節の一つの紀元節として「国民の祝日」に制定されていました。

他の四大節は、1月1日四方拝、2月11日紀元節(現在は、建国記念日)、天長節(今上天皇の誕生日を記念するもの)、11月3日明治節の4つの総称となります。

なぜ2月11日が建国記念日つまり国が建てられた日とされているかというと、古事記、日本書紀に神武天皇が即位された日として記載されているためです。

この神武天皇は、天照大御神のひ孫にあたられ、高天原からニニギノミコトが降臨された九州を発ち、東征(東へ向かい敵を征伐すること)をし、大和国(現在の奈良県あたり)の橿原宮で初めて天皇として即位しました。この日が紀元前660年の2月11日とされ、現在の建国記念日となったのです。

献饌 8台お供え致します 宮司 祝詞奏上
御神楽 浦安の舞

現在は皇紀2678年になります。世界の基準となっている西暦よりはるかに長い和学の2678年という歴史を持っている我が国を顧みる機会としてはいかがでしょうか。

祭儀課 石井

平成30年2月3日節分祭並びに福物撒豆式斎行

平成30年2月3日

去る2月3日(土)午後3時より節分祭を斎行いたしました。

当宮の節分祭は昭和33年より執り行われております。その始まりは戦後間もない昭和22年・23年頃から東一北辰会(現:一番町四丁目商店街振興組合)の皆様が「戌歳生まれの守護神」であり「仙台総鎮守」でもある当宮へ毎年参拝されるようになりました。

その後「子ども達に野球ボールの一つでも配れれば」との思いから当宮及び氏子総代との協議の末、昭和33年(戌歳)より「大崎八幡神社節分祭」(現:大崎八幡宮節分祭)を斎行することとなりました。

現在当宮の節分祭神事にある福物撒豆式(ふくものさんとうしき)が午後3時から社殿前で豆を撒き、続いて馬場でボールやあんぱん等を撒く由縁は、多くの子供たちが集まれるように学校が終わる時間を考慮して行われているという昔からの風習が現在も続けられています。

今年は「戌歳」そして「土曜日大安」ということもあり例年より1000人多い4000人もの参拝者、特に子供たちで賑わう節分祭となりました。また、当宮名物の赤鬼青鬼は今年も子供たちに大人気で、一緒に写真を撮ったりなど大忙しだったようです。

「福は内、福は内」「鬼は外、鬼は外」「天打ち、地打ち、四方打ち」「鬼の目ん玉ぶっつぶせ!」今年一年皆様の御健勝を心よりお祈り申し上げます。

「宮司祝詞奏上」 「鳴弦式」
鳴弦式:衣冠の正服を身にまとった神職が弓と鏑矢を用いて、東西に向けて三度づつ弓を引き、弦を鳴らし鬼を追い払います。
「御神楽【萬代の舞】」 「振り鈴の儀」
「当宮責任役員川上良雄殿玉串拝礼」 「撒豆式に集まった参拝者」
(撒豆式①)
(撒豆式②)
「福物を準備する当宮総代庄司健二殿」 「福物撒豆式①」
「福物撒豆式②」 「直会会場にて宮司挨拶」
「今年も大人気だった当宮の赤鬼青鬼」

祭儀課 石垣仁孝

一番町四丁目商店街にて節分祭を斎行致しました

平成30年1月28日

去る1月28日、一番町四丁目商店街にて節分祭を斎行致しました。

この節分祭は、50年以上続く歴史ある行事となっています。もともと、現在の商店街を支える方々の先輩が、当宮の社務所で節分祭を行ったのが始まりでした。

現在では、多くの人が集い、伊達武将隊も節分祭に参列するなどの賑わいを見せています。

祭儀課 石井

「文化財防火デー」消火訓練を行いました

平成30年1月26日

1月26日(金)「文化財防火デー」に伴い、消火訓練が行われました。

この訓練は昭和24年1月26日に法隆寺(奈良県)の金堂が炎上し、日本最古であった壁画が焼損した事をきっかけに、文化財を火災などの災害から守るとともに、文化財保護思想のより一層の強化徹底のため、昭和30年に文化庁と消防庁により「文化財防火デー」が定められ、毎年1月26日に全国一斉に行われる消防訓練です。

社殿西側の杉林にて火災が発生したと想定し第一発見者は祭儀棟・社務所に報告
氏子崇敬者の皆様もバケツリレーを行いました
119番通報、初期消火を行い、初期消火が失敗したという想定で参拝者を広場へ誘導いたしました。
二人一組になり、本殿から「御」を搬出
放水銃にて放水訓練を行いました。
放水銃にて放水訓練を行いました。

庶務課 近藤

歳旦祭

平成30年1月1日

当宮において一年の始め、最初に執り行われる祭典が「歳旦祭」です。

この歳旦祭は、新年を迎えたことをお祝いし、皇室の弥栄並びに国民・氏子崇敬者全ての人々の繁栄と農作物の豊作を、皇祖を始め天神地祇の全ての神様にお祈りする祭典です。

元日の午前8時から本殿にて行なわれた祭典では、宮司による祝詞奏上にて新年を迎えたことを御祝い申し上げ、採火の儀、巫女による「浦安の舞」が奉奏された後、宮司・祭員の玉串拝礼、役員総代の玉串拝礼が行われ、滞りなく厳粛に斎行されました。

また、祭典の中で行なわれた「採火の儀」は、1月14日に行なわれる松焚祭(どんと祭)のご神火となるもので、宮司の手により火打ち石を用いて鑽り出された火は「忌火」とも呼ばれ、松焚祭当日まで灯され続けます。

宮司による祝詞奏上 宮司により切り出された忌火
巫女による浦安の舞 宮司玉串拝礼

松焚祭斎行

平成30年1月14日

去る平成30年1月14日、午後4時から松焚祭を斎行致しました。

今年の天気は晴れ、最高気温4度、最低気温マイナス2度と降雪があった昨年に比べると過ごしやすい天気となり、約14万人という例年より多くの参拝者が訪れました。

祭典の流れとしましては定刻より宮司以下祭員と参列者が御社殿へ向かい御神火を受け取り松焚祭斎場へ参進。所定の座に到着後、修祓・宮司一拝・祝詞奏上を行い、斎場清祓としまして祭員が大麻と切麻を用いて高く積み上げられたお焚き上げの古神札を含め斎場全体を清めお祓いしました。続いて玉串拝礼・宮司一拝の後、点火の儀では宮司が忌火を用いて参列者が持つ松明に火を移し、参列者所定の位置で一斉に点火。火は瞬く間に燃え広がり、肌寒かった斎場を一瞬で暖めました。

この古神札をお焚き上げする「忌火」は自然鎮火されるまで関係者各位が見守り、今年は1月17日に雨が降ったため、例年より少し早いお収めとなりました。

勢いよく燃え上がる御神火

祭儀課 石垣仁孝

【お詫び】

今回の松焚祭記録写真に関しまして不手際により松焚祭神事中の撮影ができなかったことを深くお詫び申し上げます

大崎八幡宮 祭儀課一同

松焚祭裸参りがありました

平成30年1月14日

去る1月14日、松焚祭裸参りがありました。

この慣わしは、厳冬時に始まるお酒の仕込みをする杜氏が、無事においしいお酒が出来上がるようにと安全祈願の為、参拝をしたのが始まりとされています。さらには、仙台商人に伝播し、現在では個人を始め会社・病院・学校関係のお参りがあり信仰の広がりを見せています。また、醸造安全といった祈願だけではなく、市内各地より様々な方が家内安全といった祈願を胸に裸参りをされています。

江戸時代から変わらない白鉢巻、白さらしを巻くという出で立ちで、私語を謹み、粛々と御神火を目指して進みます。その姿に、手を合わせる参拝者も多くいらっしゃいました。


松焚祭は、正月最後の正月儀式となります。点火される御神火にあたると心身が清められ、一年間の無病息災・家内安全の加護を受けるという言い伝えがあります。

裸参りの人々のお参りが終わるころ、松焚祭の御神火と共に、仙台の正月は終わります。

 
裸参りの様子

今年は、124団体 3487名のお参りがありました。

裸参りをされた方々、お参りご苦労様でした。皆さまの今年一年の無病息災、ご多幸をご祈念申しあげます。

祭儀課 石井

元始祭が執り行われました

平成30年1月3日

元始祭とは、元始祭は皇位の元始、始源をお祝いする祭典で、合わせて全国各地の神社で行われております。起源は明治三年に神祇官八神殿に歴代の皇霊を御鎮祭したのに始まり、皇室祭祀のなかでも親祭とされ戦前までは祝祭日にも指定されておりました。

大崎八幡宮は、毎年1月3日を元始祭とし、役員総代の参列の元、皇室の弥栄と国運の隆昌を祈念し祭典を執り行います。

今年は、明治維新の近代日本の幕開けの宣言より、150年目の節目の年を迎えます。様々な事が起きたこの150年間でしたが、現代を生きる私達の基礎となった歴史を忘れてはいけません。

祭儀課 小野目

 
正月3が日の早朝、祭典は粛々と執り行われます
「浦安の舞」 玉串拝礼
うっすらと積もった雪により、御社殿の黒漆や金色の飾金具の美しさが一層際立ちます

星野仙一・元監督に哀悼の意を表します

平成30年1月15日

東北楽天イーグルス野球団 取締役副会長 星野仙一氏が1月4日早朝、ご逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

平成23年の監督就任より、球団の恒例行事であったシーズン前の「必勝祈願」には球団関係者・指導陣・選手一同が、表参道大石段より参進し御社殿前に集合、「特大大絵馬」にその年の抱負をご揮毫頂いて居りました。

平成23年、星野仙一氏が監督就任直後に発生した「東日本大震災」では、沿岸部に甚大な被害がありましたが、翌平成24年春の開幕戦を前に「ともに前へ」とご揮毫頂き、田中将大投手を擁し「東北を熱く」しリーグ優勝、日本シリーズに進出、では「読売巨人軍」と対戦し、日本一の座を射止めた大監督でありました。

震災で被災した東北地域の沿岸部の被災者も「熱く燃え上がる」ことが出来ました。

 
平成23年度;監督就任初年 「夢」平成23年1月30日(キャンプインを前に参拝揮毫)
平成24年度;「ともに前へ」平成24年1月30日(キャンプインを前に参拝揮毫)
平成25年度;「信勝」平成25年3月26日(開幕第1戦を前に参拝揮毫)
平成26年度;「信忍」平成26年3月25日(開幕第1戦を前に参拝揮毫)

翌平成27年には、梨田監督にその座を譲られましたが、球団副会長として毎年ご参拝頂いておりました。

あらためて東北に、県内被災地域にお心を傾けて頂いた星野監督のご冥福をお祈り申し上げます。

大崎八幡宮 宮司 小野目 博昭