神宮式年遷宮「御木曳行事」に参加して参りました
令和8年5月23日~25日

御木曳車と共に記念写真を撮影しました
令和8年5月24日、三重県伊勢市に鎮座する豊受大神宮(外宮)の御木曳行事が行われました。その行事に合わせ、当宮では奉曳団を結団し、5月23日から25日の2泊3日の行程で「御木曳行事と京都の旅」に総勢42名で行って参りました。
神宮の「式年遷宮」は、20年を区切りとして、古代からの様式そのままに新しい神殿を造り御装束神宝を調進し、神様がお宮を遷る神宮最大のお祭りです。その中において行われる「御木曳行事」とは、神宮の御遷宮のための御用材を、伊勢の住民(旧神領民)と全国の崇敬者により古式のままに両宮域内へ曳き入れる盛大な行事で、遷宮関連行事の中でも市民が参加できる数少ない機会であり20年ごとに2年にわたって執り行われます。
奉曳車や、さまざまな様式に各団独特の伝統が受け継がれ、伊勢のまちが最も盛り上がる行事であり、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択され、また伊勢市の「無形民俗文化財」として指定されています。内宮は五十鈴川を川曳し、外宮は御木曳車で陸曳をする遷宮諸祭・行事の中で最も賑やかな行事です。
当宮の奉曳団は、先ず5月10日に当宮大広間において事前説明会を開催いたしました。事前説明会では、前回の第62回式年遷宮の「御木曳行事」のDVDを視聴し、神宮式年遷宮と「御木曳行事」を学びました。その後、行程や持参品の説明を職員から行い、「御木曳行事」奉仕に向けての準備を各々進めてもらう形となりました。
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| DVDを食い入るように見つめている皆様 | 御木曳行事で着用する衣装たち |
5月23日の出発日は当宮に集合し、御社殿前にてお祓いを受けてからの出発となりました。前日までのどんよりとした雨模様では無かったものの、5月下旬とは思えない肌寒さを感じながら、仙台空港までのバスに乗り込みました。
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仙台空港に到着し、荷物の預け入れや保安検査を行い、全日空の飛行機へ搭乗しました。着陸予定の中部国際空港までは約1時間という短い時間ではありましたが、プロペラ機という物珍しい機材のおかげもあるのか車内のあちこちで話に花が咲いていました。
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| 仙台空港にて3日間お世話になる添乗員さんと合流 | 鯱バスに乗り込む奉曳団 |
中部国際空港に到着し、ここよりは愛知県名古屋市にある鯱バスのお世話になりました。鯱バスは昭和28年創業で、名古屋を中核に輸送サービスを提供されています。今回は「関白」と名前のついたバスに3日間乗車しました。この「関白」のバス側面についている鯱のデザインを触ると良いことがあるとのことで、皆こぞって触っていたのが懐かしく思い出されます。

関ドライブインでの昼食風景
鯱バスに揺られ、ガイドの方の流れるような案内に聞き入っていると、昼食場所の関ドライブインに到着しました。こちらは、三重県内の各観光地と中部、関西を結ぶ幹線道路の要、関インターに位置しており、付近には、東海道五十三次で有名な関宿があるそうです。昼食後の自由時間は各々買い物を楽しんでおりました。
昼食後はいよいよ浜参宮となります。浜参宮とは清き渚と称えられる二見浦の二見興玉神社に参拝することであり、祓をし、穢れを祓い清め心身を清浄にしてから、神宮へ参拝するのが往古よりの慣わしです。二見浦は清き渚と呼ばれ、神代の昔より霊域であり何処よりも清浄な浜辺として尊ばれてきました。古くよりその一帯を禊浜ともいい伊勢参宮を控えた参拝者が、浜辺で汐水を浴び、心身を清め禊祓をした禊場であったとも伝わります。
この故事に倣い、「御木曳行事」の前には必ず浜参宮を行う事となっています。二見興玉神社では、禊祓の伝統により御霊草の無垢塩草にてお祓いをします。偶然にもその無垢塩草を摘み取る藻刈神事を行った後に参拝をしたため、御社殿内には摘みたての無垢塩草が入った木桶がお供えされていました。
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| 海岸に沿って伸びる参道を歩いて向かいます | 御社殿内での正式参拝の様子 |
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| 二見興玉神社の金子宮司の挨拶 | 無垢塩草が入った木桶と無垢塩草の祓串 |

二見と言えば、この夫婦岩を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか
浜参宮の後は明日の本番に備えて早めに宿泊先に移動しました。宿泊先は三重県鳥羽市の戸田家でした。戸田家は天保元年(1830年)創業の老舗旅館で、鳥羽湾を一望する絶好のロケーションを誇ります。
夕食は戸田家オリジナルの会席料理を頂き、翌日の「御木曳行事」に向けての英気を養いつつ、参加者同士の懇親を深める良い機会になりました。
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| 参加者一人ずつ自己紹介を行いました | 御膳に並んだ沢山の料理に舌鼓を打ちました |
5月24日神宮式年遷宮「御木曳行事」の当日を迎えました。昨日とは打って変わっての快晴で、日差しの強さや気温上昇による熱中症対策に追われる程の気候となりました。
鳥羽を後にし、奉曳団は一路伊勢に向かいました。外宮付近の商店街で整列を行い、「太一」と大きな名標が付いた御木曳車の前で結団式が行われました。全国各地から参集した特別神領民が御木曳行事を前に、掛け声や注意事項を再度確認し、定刻9時45分に「御木曳行事」が開始しました。
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| 結団式の様子 | 木遣りに挑戦させていただきました |
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| 「エンヤ」という威勢の良い掛け声が木霊します | |
途中3か所ほど、小休憩や木遣り歌の披露があり、ゆったりとしたペースで外宮まで進んでいきます。御木曳車の車輪から発せられる独特の音と威勢の良い掛け声の後押しを受け、約800メートル、50分の御木曳は無事終了しました。御木曳後はそのまま外宮の御垣内参拝にて御木曳の無事の終了を奉告し、特別神領民としての御奉仕は終わりとなります。
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| 木陰の涼しさに森林の偉大さを感じました | 冷たいお茶や伊勢の銘菓を頂きました |
「御木曳行事」終了後は内宮参拝に向けて移動し、「伊勢うどん」と「てこね寿司」という伊勢2大名物揃い踏みの昼食を頂きました。
午後は内宮での御垣内参拝を行い、おはらい町を各々散策しました。
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| 宇治橋を渡って御正宮に向かいます | 五十鈴川にて手水をとりました |
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| 別宮にもお参りしました | 神聖な空気を感じつつ、歩みを進めました |
貴重な経験と心地よい疲労を抱え、奉曳団は一路京都に向かいました。今回の「御木曳行事と京都の旅」の次の目玉である京都に到着したころにはすっかり日も落ち、日中の汗ばむ陽気から、心地いい風が感じられるほどにまでなっていました。
京都の夜は「御木曳行事」の直会も兼ねてフレンチを頂きました。また、当宮宮司の旧交より祇園甲部の冨田屋より6名の芸妓・舞妓の方々が宴席に華を添えて下さりました。
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| 芸妓・舞妓による「祇園小唄」の披露 | 舞妓さんと過ごす貴重な時間でした |
5月25日、ホテルを出発し、石清水八幡宮に向かいました。京都府八幡市男山に鎮座する石清水八幡宮は貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚が豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮から御託宣を蒙り、男山の峯に御分霊したのが起源だそうです。平安期以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、伊勢の神宮と共に二所宗廟とも称されました。
石清水八幡宮は僧侶を中心に創建され、往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓の社殿である高良神社を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話でも広く知られています。その後の神仏分離で仏式は排除され、仏堂や仏塔は姿を消し、仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えましたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられています。
明治の初めには官幣大社に列せられ、国家鎮護、厄除開運、必勝・弓矢の神として時代を超えて人々の篤い信仰を受け、現在の社殿は徳川三代将軍家光の造替によるもので、現存する八幡造の本殿の中で最古かつ最大規模となっており、平成27年10月16日の文化審議会にて国宝に指定されました。
石清水八幡宮宮司、神社本庁総長の田中恆清殿にご挨拶を賜り、正式参拝を行い、国宝の御社殿について職員の方から説明を受けました。普段は見る事が出来ない場所にも案内頂き、感嘆の声が上がりました。
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| ケーブルカーにて山上のお宮に向かいます | 宮司講話をする田中恆清宮司 |
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| 織田信長が寄進した黄金の雨樋を見せて頂きました | 御社殿前にて記念写真を撮影しました |
その後、京都市左京区の南禅寺門前の南禅寺八千代で湯豆腐御膳を頂きました。湯豆腐の他にも湯葉や生麩饅頭等、京都の味覚が詰まった豪華な昼食でした。
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| 旅館としても有名なお店です | 最後の食事という事もあり、話が弾みます |
旅の最後は平安神宮を参拝しました。京都市左京区に鎮座する平安神宮は千年以上も栄え続けた雅やかな京都と京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りも込めて、平安京遷都1100年を記念して桓武天皇を祭神とし創建され、後に孝明天皇が祭神に加えられ、現在に至ります。御社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院を模し、実物の8分の5の規模で復元されて明治28年(1895年)に完成しました。広大な庭園を有し、修学旅行での行先としても有名の為、認知度の高い神社の一つとされます。
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| 応天門を模して造られた神門 | 映画やドラマの撮影地としても使用されるそうです |
「御木曳行事と京都の旅」は伊丹空港より空路にて帰仙となりました。お土産と思い出を満載したスーツケースや鞄を抱え、飛行機からバスに乗り換えをする際、つい2時間前までいた関西とは10度以上下がった気温に各々「ふるさとの地 仙台」を感じていたように思います。
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| 柏手の音が境内に響きました | 当宮宮司の挨拶 |
旅の締めくくりには、当宮の御社殿前にて無事の帰仙の奉告参拝を行いました。天候に振り回される面もありましたが、誰一人体調を崩すことなく、無事に終えられたことは、参加されたお一人お一人の御協力の賜物であったと感じております。また、この「御木曳行事と京都の旅」の無事の遂行の為にご尽力賜りました、旅行会社関係の皆様に置かれましても、この場をお借りして御礼申し上げます。
以下、同行しました職員の感想です。
【及川権禰宜】
第63回式年遷宮お木行事参加に伴い、神宮司廳を始め多方面の方々と調整を図り研修旅行を計画させていただきました。お木曳当日は天候にも恵まれ、約700名が掛け声を上げ、心一つに綱を引き奉仕する姿に、改めて日本人の伝統・文化への熱意を感じました。
今回参加された方々が安心して奉仕に臨めるように準備を進めたつもりでしたが、至らぬ点が多々あったことは今後自身の糧としていきたいです。まずは参加者全員が事故なく、怪我なく終えたことに安堵しております。
【浅香権禰宜】
御木曳行事に参加が決まり、前回の資料を読み進めていくと、行事自体の歴史の長さや市民の熱意、特別神領民としての奉仕の特別性等を強く感じました。実際に御木曳行事に参加してみると、数百人が1つの目標に向かって協力する姿に、神宮が日本人の総氏神として日本人の心に大変な影響力を持っているのだと思いました。
神職として当宮に奉仕に上がってから、42名という大人数での県外出張というのは初めてであった為、どのようにしたら上手く意思疎通が図れ、物事が円滑に進むか考えさせられる面が多くありました。旅にハプニングは付き物とも言いますし、そこも含めての旅というものでありますが、その対応等においては己の未熟さを痛感する場面が多かったように思います。
伝統の継承と体験、自分自身の神職としての足りない部分を理解する事の出来た「御木曳行事と京都の旅」でありました。
【猪狩出仕】
今回は5月に参加いたしました「お木曳行事」の様子についてお伝えしたいと思います。
初日は可愛らしいプロペラ機で中部国際空港へ。あいにくの小雨模様でしたが、伊勢神宮へ参拝する前に二見浦の海水で禊をします。…というのは古来の習わしで、現在は二見興玉神社にてお祓いを受けることで「浜参宮」を行うようになっています。神前には、当日の朝に神職によって採取されたばかりという無垢塩草(むくしおぐさ)が桶に入れられて供えられており、大変貴重な日に無垢塩草でのお祓いを受けることができました。
境内の至る所には、御祭神である猿田彦大神の使いともされるカエルの置物が奉納されており、定番の「無事に帰る」だけでなく、「若返る」お願いをされていた方もいたのではないかと思います。参拝後は、雨に濡れて少し冷えた体を、鳥羽の名旅館「戸田家」の美味しい食事と温かい温泉でしっかりと癒やし、心身ともにリラックスして翌日への英気を養いました。
翌朝目が覚めると、前日の雨が嘘のような好天に恵まれ、鳥羽湾の水面がキラキラと輝いていました。卵料理だけでなくおむすびもその場で提供される多種多様なバイキングをいただいた後は、参加者一同、全身白一色に統一された伝統的なお木曳の出で立ちに身を包み、引き締まった思いで宿を出発。
お木曳とは、式年遷宮のための御用材を奉納する行事ですが、式年遷宮自体が20年に一度のため、複数回実施することもあるとはいえ、一生のうちで参加できる機会はそう多くありません。お木曳には、内宮の御用材を橇に積んで五十鈴川を運ぶ川曳(かわびき)と外宮の御用材を奉曳車に積んで陸路で運び入れる陸曳(おかびき)がありますが、私達は陸曳を担いました。木遣り唄や威勢の良い「エンヤー」の掛け声とともに、千人に満たない人の力で約1kmの距離を1時間ほどかけて曳くのですが、近頃いわれる「コスパ・タイパ」では語れないものを私は感じていました。(何を感じたかお知りになりたい方は…来年もありますので是非ご参加ください)
お木曳と外宮での特別参拝を終えた後はバスで移動し、宇治橋にほど近い勢乃国屋にて伊勢の郷土料理である「手こね寿司」と「伊勢うどん」を一度に味わえる贅沢な御膳をいただきました。お腹を満たし、お木曳の心地よい疲れを癒した後は、いよいよ内宮での「御垣内参拝」です。一般の参拝場所よりも内側にある神聖な御垣の中へと進み、これ以上ない厳かで清らかな空気の中で、無事にお木曳行事を終えられたことへの感謝と祈りを捧げました。
内宮をぐるりと回り宇治橋を渡って戻ってくると身の引き締まるような緊張も解け、おかげ横丁での自由散策へ。活気ある古い町並みを歩きながら、お土産選びや食べ歩きを楽しみ、充実感に満ちた心地よい余韻とともに伊勢での全行程を終えました。
雨の浜参宮による「静」の浄化に始まり、晴天下のお木曳という「動」の熱気。そして、御垣内参拝で「聖」なる空間を体験した後に、おかげ横丁で「俗」なる賑わい・楽しさに浸る。日本の深い伝統と信仰を「静と動」「聖と俗」の対比の中で感じることのできた貴重な体験となりました。実はこの後は京都に向かい、素晴らしい夜と翌日の観光がありましたが、それはまた別の機会に。
【川村仕女】
今回で63回目となるお木曳行事に参加させていただきました。
決まった列ごとに並び開会式を執り行い、神聖な綱を約700人の手により少しずつお木曳車が動き始めました。
800メートルという短いようで長い距離を掛け声とともに、誰1人怪我や熱中症で欠けることなく一致団結することができ安心しました。
20年に一度という伝統ある行事に地元の方々だけでなく各地からも参加し、性別・年齢関係なく神宮・神社への思いが伝わってくるような瞬間でした。
【後藤仕女】
20年に一度行われる神宮の式年遷宮の御木曳行事に今回初めて参加させていただきました。伊勢市民や全国の崇敬者が参加できる数少ない神宮の行事である御木曳行事ですが、24日の参加人数は約700名の参加だったそうです。白い装束を纏った参加者の姿は圧倒的な一体感がありました。
一昨年に神宮で開催された「巫女の為の神宮実習」に参加した際に知った式年遷宮の行事に参加する事になるとは思いもしませんでした。1300年にわたり受け継がれてきた神宮の行事に参加できたことは、感謝の気持ちと達成感、喜びを感じました。
御木曳行事が進んでゆくにつれて、「えんや」の掛け声が大きな熱量になり、より団結していく姿に鳥肌が立ちました。また、外宮までの約800メートルの道のりはあっという間で、無事外宮に無事着いた時は感無量でした。
今後の人生でまた体験できるか分からない貴重な時間を体験できたことを誇りに思うと同時に、感謝の気持ちを感じる事が出来ました。最後に、今回の式年遷宮が無事成し遂げられることを心よりお祈り申し上げます。

今回大学生の参加もありました。御木曳行事は高校生以上であれば参加が可能です。
来年には第二次御木曳行事が予定されており、当宮におきましても、奉曳団を結団し、御木曳行事の御奉仕を予定しております。日本人の総氏神である神宮の行事に携われる機会はそう多くはありません。是非この機会に御木曳行事への御参加のご検討を頂き、式年遷宮や神社、神道について興味をお持ちいただけると嬉しい限りでございます。
祭儀課 浅香
本居宣長記念館名誉館長御一行の正式参拝がございました
令和8年5月23日
令和8年5月23日午後2時より山形大学教授永井康雄殿をはじめ、本居宣長記念館名誉館長吉田悦之殿御一行の正式参拝が当宮にて斎行されました。
永井殿は山形大学工学部建築・デザイン学科の教授であり、建築史の研究だけでなく、仙台市文化財保護審議員、仙台城跡調査・整備委員会委員及び古建築分野を主として仙台城大手門復元部会の構成員としてご活躍されております。
また、吉田殿は本居宣長記念館にて名誉館長を務めております。本居宣長記念館は三重県松阪市の松坂城跡に昭和45年(1970)に開館した公益財団法人鈴屋遺蹟保存会が運営管理し、江戸時代の国学者である本居宣長の旧宅「鈴屋」の管理・公開、『古事記伝』などの自筆稿本類や遺品自画像等の宣長に関する資料を展示・保存し、関連資料の収集、宣長に関する調査研究を行っております。
当日は永井殿、吉田殿をはじめとした建築史や歴史等の分野に造詣が深い7名が来社され、社殿内にて参拝していただきました。正式参拝の後、当宮権禰宜が社殿内及び社殿裏をご案内致しました。
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| 正式参拝の様子 | |
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| 当宮職員による社殿内の説明 | |
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| 御社殿の建築様式である石の間造りを社殿裏より間近でご覧いただきました。 | |
国宝の御社殿で参拝しつつ、貴重な文化財を鑑賞できる正式参拝は随時行っております。例祭期間や正月等お受けできない時期もございますが、ご希望の場合は当宮までメールかお電話にてお問い合わせいただければと思います。
祭儀課 佐藤
皐月月次祭を斎行致しました
令和8年5月15日

立夏を迎え、祭員の装束も夏物になりました
令和8年5月15日午前10時より、皐月の月次祭が斎行されました。日々の大神様のご加護に感謝し、世界の安寧を祈念する月首(次)祭は、毎月1日と15日に斎行しております。
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| 祓所にて修祓を行います | 祭典の結びに境内にある末社を巡拝します |
月首(次)祭は、どなたでも参列できますので、祭典開始15分前までに社殿右側の祭儀棟までお越しください。
参列された方には撤下品として、月参り幣束をお渡ししております。月参り幣束は毎月異なる色目にて奉製されており、季節の草花をモチーフとしております。

皐月は当宮が鎮座する八幡町に隣接する子平町の千田邸にて伝わる「子平町の藤」を基調にしております。
「子平町の藤」は、仙台藩初代藩主伊達政宗が朝鮮出兵に際して文禄2(1593)年に朝鮮半島から持ち帰ったものを、所有者である千田家の先祖が拝領したと伝えられています。江戸後期の文献からも、当時の町名である「半子町(はんこまち)の藤」として知られていたことが伺う事が出来ます。半子町は、仙台開府時に旗本足軽が配された地域の町名であり、藩に謹仕した代々の千田家も以来当地に居住し、当宮の責任役員もお務め頂いています。
藤は、「仙台年中行事大意」(嘉永2年・1849年)に、当時で230年余の古株である旨の記載があり、現在においては樹齢約420年の古木と推定されています。景観上の美的価値や長い花房,樹齢,株の大きさといった植物学的な希少性に加え、その由緒から歴史的価値も高く「子平町の藤」として、 300平米の藤棚全体仙台市指定保存樹木(昭和50年6月5目指定)に指定されています。
またこの藤は毎年ゴールデンウイーク前後に一般公開され、初夏の風物詩としても知られています。
今回の月首祭では、1名の参列と4月に入社した新人の菅野仕女の初奉仕がありました。約1ヶ月半の間、社務の合間を縫って一生懸命稽古に励んで参りました。
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以下、初奉仕の感想です。
初めての祭典での舞の奉仕で緊張しました。舞の流れは間違うことなく舞えましたが、途中でよろけてしまったり、足の動かし方を間違えてしまったりと反省点が多々ある初奉仕となりました。これからはもっとスムーズに舞が舞えるようになる為に精進していきたいです。

祭典終了後、社務所大玄関前にて記念写真を撮影しました
当宮では、祭典のご奉仕に上がる為に日々舞や雅楽の稽古に職員一同励んでおります。また、8月12日の御鎮座記念祭・雅楽の夕べにおきましても職員の舞奉仕がございます。小さな積み重ねを大切にし、より美しいご奉仕ができるよう努めて参る所存です。
祭儀課 浅香
ヴォスクオーレ仙台必勝祈願を斎行致しました。
令和8年5月11日
去る5月11日にヴォスクオーレ仙台の必勝祈願を御社殿にて斎行されました。
ヴォスクオーレ仙台とは、仙台市をホームタウンとするフットサルクラブです。
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| 当宮の一之鳥居から参進しました | 大絵馬に揮毫していただきました |
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| 社殿へ向かいます | 修祓 |
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| 玉串拝礼 | 神酒拝戴 |
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| 記念写真 | |
今季はベテランと若手のアグレッシブを活かし、F1昇格を目指します。
皆様のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
庶務課 川村
伊達武将隊出陣式を斎行致しました
令和8年5月9日
令和8年5月9日に伊達武将出陣式を斎行致しました。
沢山の方々に見守られながら一の鳥居からご社殿前まで参進しました。
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| 一之鳥居から参進してくる様子 | |
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| 威風堂々とした佇まいに皆さん圧倒されていました | |
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| ご社殿前では、修祓、玉串拝礼、御守の授与が滞りなく執り行われました。 | |
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| 御守の授与を終えると皆さんの想いを込めて大絵馬に揮毫をしていただきました。 | |
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第17期を迎える本年は、「伊達成実」様、「茂庭綱元」様が蘇られ今回の出陣式に参列されました。
お二人の武将が加わったことで、より沢山のご多幸、御活躍をお祈り申し上げます。 また、大絵馬はご社殿左側に展示しておりますのでご覧ください。
祭儀課 後藤







































































